「そうそう」
梅川署長は、ふっと口《く》調《ちよう》を緩《ゆる》めた。「少し話が先に行き過ぎてしまったようだね」
聞いていた倫子は、ホッと息をついた。
高津智子の死体を発見したときの光景があまりに鮮《あざ》やかに目の前に浮かんで来て——それは本当に不思議なほどだった——思わず息を殺すほどの緊《きん》張《ちよう》感《かん》に捉えられていたのである。
「話しておかなくてはいけないことが、まだあったよ」
と、梅川は言った。
「——あ、そうか」
倫子は思い付いて、「タイム・カプセルのことですね」
「その通り」
梅川は、ちょっと微《ほほ》笑《え》んで見せた。
「三十年も前に、タイム・カプセルなんてものを、誰《だれ》が考えついたんですか?」
と訊《き》いたのは朝也だった。
「いや、そのときは『タイム・カプセル』などと呼んではいなかったんだよ」
と、梅川は言った。「大体、そういう発想が、そのころあったのかどうか。もし、あったとしても、こんな田舎《いなか》町《まち》の少年たちが、そんなことを知っているわけもない」
「じゃあ——」
「うん。ちょうど三年生も二学期になっていて、みんなで、学校に何を遺《のこ》して行こうかという話をしていたんだ。——それぞれの卒業生が、毎年、何かを学校に遺して行くというのが、いわばならわしだったからね」
「それで誰かが言い出したんですね」
「いや、そんなしゃれたことを、思い付く奴《やつ》はいなかったよ」
と、梅川は笑った。「ただね、ちょうどそのころ、ある生徒の家の庭で、穴を掘ったんだ。ちょっとした小屋を建てたい、というんでね。——すると、大きな箱が出て来た」
「何だったんですか?」
「宝物——かと、一《いつ》瞬《しゆん》興奮したそうだ。しかし、開けてみると、古着だの、包丁だの、机の足だのというガラクタばっかりだった」
「どうしてそんな物を埋《う》めたんでしょう?」
と、倫子は言った。
「分らないね。ともかく、中に入っていたボロボロの手紙で、三十年近く前に、その生徒の祖父が埋めたらしい、と分った。もっとも、そのときにはもう亡くなっていたので、どうして埋めたのかは分らなかったがね」
梅川は一つ息をついて、「ただ、その話を聞いた生徒の誰かが、僕らも何かを埋めたらどうだろう、と言い出したらしいんだ」
「それがタイム・カプセルにまでなったわけですね」
「そうらしい。——らしい、というのは、私は教師だったから、その辺の事情はよく分らないんだ。ともかく、生徒たちがまとめた結論を、聞いただけだからね。君のお父さんの方が、よく知っているんじゃないかな」
梅川は、ふと顔を上げた。「——ほら、学校に着いたよ。もし詳《くわ》しいことを知りたければ、お父さんに訊《き》いてごらん」
倫子たちの乗ったパトカーは、校庭へと入って行った。
「そのタイム・カプセルって、どこに埋めてあるんですか?」
と、倫子は訊いた。
「裏庭だよ。あの古い校舎の裏手になる。——ああ、君のお父さんだ」
羽佐間が、パトカーの方へと歩いて来る。
倫子がドアを開けて降り立つと、羽佐間は呆《あき》れたような顔で、
「倫子、何かやったのか? 連行されて来たんじゃないだろうな」
と言った。
「変なこと言わないでよ」
と、倫子はむくれて、「ちょっと乗せてもらっただけよ」
「図々しい奴《やつ》だな! すみません、梅川先生」
「いや、何人乗っても同じことですよ」
と梅川は笑って、「それに、その『先生』というのは、どうも——」
「すみません。しかし、ここに来ると、やはり、『先生』と呼びたくなりますよ」
と、羽佐間は楽しげに言った。
「例の場所の方へ行きましょうか」
「ええ。どうせお前も行くんだろう」
と、羽佐間が倫子を見る。
「何のためにここへ来たと思ってるの?」
倫子は、朝也の方を向いて、「小池君、行こう」
と促《うなが》した。
羽佐間と梅川、それに倫子と朝也の四人は、校庭を歩き出した。
「——ここへ来る途中、高津先生が殺されたときのことを、お嬢さんに話してたんですよ」
と、梅川が言うと、羽佐間は、渋い顔になった。
「どうせ、話してくれとせがんだんでしょう? 仕方のない奴だ。もう少し女らしいことに興味を持ってくれるといいのに」
「親の育て方に問題があったんじゃない?」
と、倫子が涼《すず》しい顔で言った。
「これだから、全く——」
と、羽佐間は苦笑して、「口ばかりが大人になって」
「ところで、例の場所は?」
と、梅川が言った。
「今、見て来たところです。変りないですね。掘り返されたような形《けい》跡《せき》はないようです」
「そうですか。私も何度か見に来たことはありますが」
「私も、何度か訪れているんです。もっとも、仕事の合間だから、そう度々というわけではなかったが」
「へえ、お父さんが?」
と、倫子が口を挟む。「働きバチがよく寄り道するヒマ、あったわね」
「こっちの方へ出張などで来ることがあると、足を伸ばしてたんだ」
「——一つ、署長さんにうかがっていいですか」
と倫子は言った。
「何かな?」
「この古い方の校舎、もうとっくに壊《こわ》されていて当然じゃありません? どうしてこのまま残してあるんですか」
「それはね」
と、梅川は微《ほほ》笑《え》んで、「残してある、というわけじゃなくて、残っちゃったんだな。新しい校舎を建てるのに、取り壊しの分の費用まで使っちゃったわけだ。その後は、町の方でも予算が取れなくてね、つい放ったらかしということになって……。いや、実のところ、私も心配してるんだ。ともかく古い木造だからね。ちょっとした火で燃え上る」
「火遊びとか?」
「そう。——何しろ生徒たちは色々と無茶をするから。といっても、我々も昔はやったんだから、あまり言えたもんじゃないがね」
と、梅川は笑った。
「寂しくなるだろうな、この校舎がなくなったりしたら」
と、羽佐間が、いつになくセンチメンタルな口《く》調《ちよう》で言った。
——四人は校舎のわきを回って、裏手に出た。
「あの大きな木の下だよ」
と、羽佐間が指さした。
何十年——いや、たぶん何百年と根を張った大きな木。
倫子には、何という木なのかも分らない。しかし、まるで太い腕のように中空へ伸びた枝は、どことなく見ている者を威《い》圧《あつ》しているような、堂々たる力強さを感じさせた。
「——この木の下なら、何を埋めておいても大丈夫、という気がしたんだ」
と、羽佐間が言った。
倫子も同じことを感じていた。
深い草に覆われた地面から、何やら板切れのようなものが突き出ている。
「——あれ、何なの? お墓?」
「よせよ」
と、羽佐間は笑って、「あそこが、埋めた場所なんだ。いわば目印というわけさ」
「へえ」
倫子は、草をかき分けて、そこまで辿《たど》りつくと、その板切れを間近に眺《なが》めた。
文字が書かれていたらしいことは分るが、何も読み取れない。
「——強い木なんだな」
と、朝也もやって来て、板を叩《たた》いてみる。
「三十年たつのに、腐《くさ》ってもいないしね。大したものね」
「三十年もたてば、みんな忘れてしまうんじゃないかと思ったがね」
と、羽佐間が少し離れた所で、腕組みをしながら言った。
「三十年なんて、短いものですよ」
と、梅川が言った。
「全くですな」
羽佐間が肯《うなず》く。「たってしまえば、つい昨日のようだ。——そう。憶《おぼ》えてますよ。これを埋めるときに、埋めるのはいいが、掘り出す奴《やつ》がいるかな、とみんなで笑ったのをね」
「いよいよ、あさってだ」
と、梅川が、ちょっと目を上に向けた。
「だけど、お父さん」
と、倫子は父の方へと戻《もど》っていきながら、「他《ほか》に誰《だれ》もいないの? お父さんと、署長さんと——それからあの先生——滝田っていったっけ」
「うん。私にもよく分らんよ。みんな、三十年もたてば、それぞれ生活というものがある」
「案内状を出したのは、お父さん?」
羽佐間が、けげんな表情で、
「案内状?」
と言った。「何のことだ?」
「滝田先生って人が言ってたわ。タイム・カプセルを埋めて三十年たった、っていう手紙が来たって」
「——それは妙だ」
羽佐間は梅川の顔を見た。
「私は出さないですよ」
「そうですか」
羽佐間は、ちょっと首をひねった。「変だな、誰がそんなことをしたんだろう?」
「お父さんの所には来なかったの?」
「来ていない。——私は、そんなことをしてまで大勢集める気はなかったんだ。忘れていない者だけが来ればいい、と……。もし私一人だったら、それでもいいと思っていたんだよ」
「——そうか」
と、朝也が、ふと思い付いたように、「実際に、そのタイム・カプセルの中に物を入れたのは生徒だけなんでしょう? ということは、羽佐間さん一人が……」
「後は石山だな」
と、羽佐間が言った。「当人が死んで、その代りに娘さんが来たわけだが」
「そして行方不明よ」
と、倫子が続ける。「何かあるんだわ、やっぱり」
——誰《だれ》もが、少しの間、黙っていた。
風が出て、大木の枝が鳴った。
倫子には、まるでその大木が、フフ、と笑ったように聞こえた……。
「——ともかく、あさってまで待とう」
と、羽佐間が言った。「掘り出して、中に、何か思いもかけないものが入っているかどうか……」
「掘り出すのは、任せて下さい」
と、梅川が言った。「元気のある若い連中を動員しますから」
「それは助かります。どうしようかと思っていたんですよ」
「自分でやるには少々年《と》齢《し》を取ってしまいましたからね」
と、梅川は微《ほほ》笑《え》んだ。
——そのとき、足音がした。
ドタドタと、かなりあわてている足音だ。
「こちらでしたか! 社長!」
息を切らしつつやって来たのは、ホテルの支配人、入江だった。
「何だ、どうした?」
「いや、大変なんです!」
足を止めると、汗《あせ》が吹《ふ》き出て来るのを、せっせとハンカチで拭《ふ》いている。
「何が大変なんだ?」
「ともかく、ホテルへ戻って下さい。お客が——」
「何か苦情でも出たのか?」
「分った」
と、倫子が言った。「ゴキブリが出たんでしょ。それともネズミか」
「とんでもない!」
と、入江は顔をしかめて、「私は、そういうものが一番嫌《きら》いなんです。万全の対策を施《ほどこ》してあります。決してゴキブリ一匹——」
「それはともかく、何が大変なんだ?」
「はあ。——満員になってしまって」
「満員?」
「そうです。ドッと団体でお客様が——」
「そんな馬鹿な!」
と、羽佐間は憤《ふん》然《ぜん》として言った。「団体は受け付けるなと言ってあるじゃないか」
「ですが、バラバラで一度においでになったんです」
と、入江はポケットから白い封《ふう》筒《とう》を出して、「これをみなさん、お持ちになって——」
羽佐間はその封筒の宛《あて》名《な》を見ると、眉《まゆ》を寄せた。
「これは——待てよ。確か、同じクラスにいた奴《やつ》じゃないかな」
中から出て来たのは、よく結婚式などの招待状に使う、厚手の紙に刷った手紙だった。
〈拝《はい》啓《けい》 皆《みな》さまにはお変りなくお過しでしょうか。
三十年前、タイム・カプセルを埋めたことを、皆さん、憶《おぼ》えていらっしゃると思います。その三十年目が、巡って参りました。——〉
「これが、滝田先生の言った案内状なんだわ!」
と、倫子は言った。
「宿《しゆく》泊《はく》先《さき》として、ちゃんとあのホテルの名が入ってるよ」
と、朝也も覗《のぞ》き込んで言った。
「——驚いたな!」
羽佐間は呟《つぶや》いて首を振った。「入江君、何人ぐらい来てるんだ?」
「はあ。ご家族連れの方も多くて。——全部で四十人ほど……」
「四十人!」
あの小ぢんまりしたホテルに一度に四十人もやって来たら、大騒ぎになることは、倫子にも想像がつく。
「分った。ともかく戻《もど》ろう。車か?」
「はい、そうです」
「私も行くわ。小池君、行こう」
羽佐間と倫子、朝也の三人は、入江の運転する車に乗って、ホテルへと向った。
「—— こんなもの、誰が出したんだろう? 分らん」
車中で羽佐間が首をかしげた。
「お父さん」
「何だ?」
「お父さんの考案した客集めのPRじゃないの?」
羽佐間ににらまれて、倫子はペロリと舌を出した。