「もう! ドジなんだから!」
と、倫子は文句を言った。
「そんなこと言ったって、仕方ないじゃないか!」
と、朝也が言い返す。
中山久仁子がクスッと笑って、
「仲のいいことね」
と言った。
二人は、ちょっと苦い顔で黙《だま》った。
もちろん、二人の前には、銃口がある。
「——そろそろ二時だわ」
と、中山久仁子は言った。「始めましょうか」
——気は進まないが、倫子と朝也の二人、死体を運び出すという、面白くもない仕事に取りかかることになったのである。
「毛布でくるんで。外から見ても分らないようにね」
これがまず大仕事。
いい加減硬直し始めた死体を、毛布でくるむというのは、言うは易《やす》く、実際は大変な仕事だった。
「こうなったら仕方ないよ」
と、朝也が諦《あきら》めの境地。
まあ、倫子としても、まだ死ぬ気にはなれない。
二人して、まず毛布をはがして床《ゆか》へ広げ、その上に、滝田の死体をのせる。
そして死体をくるむ。——ここまでで、三十分近くもかかってしまった。
この調子じゃ、朝になるんじゃないかしら、と倫子は思った。
「さて、次は運《うん》搬《ぱん》車《しや》」
と、中山久仁子。
「——手《て》押《お》し車みたいなもの?」
と、朝也が訊《き》くと、
「そうよ。どこかで見付けて来て」
朝也が、
「分ったよ」
と出て行こうとする。
「もちろん——」
と、中山久仁子は付け加えた。「あなたがもし、このことをしゃべれば、この可愛いお嬢さんが……」
「分ってるよ」
と、朝也は言って、部屋を出た。
十分ほどで戻《もど》って来る。——ちゃんと、注文通り荷物運び用の手押し車を押して来た。
「さあ、これでいいだろ」
と、朝也はふてくされている。
「上出来だわ」
と、久仁子は言った。「次に、その人をこれに乗せて」
これまた楽ではない。
それをやっとこ済ませると、もう二人ともヘトヘトだった。
「——どこへ運ぶんですか」
ハアハアいいながら、倫子は訊いた。
「他にないわね」
と、久仁子が言った。「林の中よ」
「外へ? でも——」
「つべこべ言わないで」
銃口が、無言の雄《ゆう》弁《べん》ぶりを発揮する。
二人して、死体をのせた手押し車を、廊下へ出す。
「行くのよ」
と、久仁子は、真剣な口《く》調《ちよう》で言った。
しかし、二時という時間は、多少早かったようだ。
つまり、今夜は、三十年ぶりに会う同窓生が、沢《たく》山《さん》いるわけなのだ。
あちこちのドアから、話し声や笑い声が洩《も》れて来る。
もちろん、内容は分らないが、それでも、いつドアが開いて誰《だれ》かが出て来るかもしれないのである。
「急いで!」
と、久仁子は言った。
とたんに、ヒョイ、とドアが開く。
ギクリとして、三人が立ち止った。
「やあ、どうも——」
と、その男、しっかり酔《よ》っ払《ぱら》ってしまっている。
「今晩は」
久仁子は平然として言った。もちろん、拳《けん》銃《じゆう》は、ガウンの下に隠《かく》している。
「どうも。——いや、どうも」
かつてのクラスメートと、久々に飲んでいたのだろう。
フラフラと、千鳥足で、歩いて行ってしまう。
ホッと息をついて、
「行きましょ」
と、久仁子は促した。
——後は何とか邪《じや》魔《ま》もされずに、ホテルの裏手に出ることができた。
「どこへ持って行くの?」
と、くたびれた声で、倫子が訊《き》く。
「林の奥《おく》よ。ずっとずっとね」
と、久仁子は言った。
嫌《いや》だわ、と倫子は思った。たとえ、どんなに奥へ運んでも、それで死体が隠れるわけじゃない。
しかし、ここはともかく、言われた通りにするしかなかった。
かくて、二人で、死体をのせた手押し車を押して、暗い林の中を進んで行くという図になったのだった。
「——小池君」
そっと、倫子が囁《ささや》く。
「何だよ?」
「どうなると思う?」
「知るかい」
「無責任ね」
「僕《ぼく》の責任じゃない!」
「殺されても?」
「殺されて?——誰《だれ》が?」
「私たちよ」
「ど、どうして僕らが?」
「いくら奥へ運んでも、死体はなくならないわ。その後、私たちを帰したら、それでおしまい」
「そうか。すると——」
「私たちも殺す気かもしれないわ」
「でも、彼女の話では——」
「信じられる?」
「——いいや」
と、朝也は首を振った。「でも、だからって、どうするんだ?」
「決ってるわ。逃《に》げるの」
「逃げる?」
「そう。暗い林の中だわ」
「そうか。突っ走れば……」
「一、二、の三で、左右に分れるのよ。どう?」
「——OK」
危険ではあったが、このままでも安全とは言えないのだ。
「——じゃ、行くぞ」
「ええ」
「一、二、の三!」
手押し車を残して、二人は左右へと駆《か》け出した。
「待って!」
と、中山久仁子の甲《かん》高《だか》い声が、木々の合間を縫《ぬ》って聞こえた。「止《とま》って!」
——やった!
倫子は、木々の間を、巧《たく》みにすり抜《ぬ》けて行った。
後は、明りの見える方へと戻《もど》って行けばいいのだ。
銃声はしなかった。朝也も無事に逃げたのだろう。
木々の間に、ホテルの灯《ひ》が見えた。あっちだ。
倫子は、向きを変えて、駆け出した。
そのとき——鋭い銃声が、闇《やみ》を貫《つらぬ》いて、聞こえた。
一発。——一発だけだ。
「小池君……」
まさか小池君が——やられた?
倫子は、足を止めた。
ホテルへ戻《もど》って、助けを呼んでくればいいのだが、しかし、自分が言い出したことで、朝也に万一のことがあったら、と思うと、いても立ってもいられない。
向きを変え、倫子は、林の中を、元の方向へと戻って行った。
もちろん、この暗がりの中だ。
正確に、元の場所へは戻れまい。
しかし、およその方向は分っていた。
——小池君! 無事でいてね!
倫子は、木の幹を手で確かめるようにしながら、進んで行った。
「——小池君。——小池君」
そっと、低い声で呼んでみる。
返事はなかった。
中山久仁子は、どこへ行ったんだろう?
林の中は、何の足音らしいものもしない。
いやな予感がした。——そろそろと足を進める。
何かが動いた。——しかし、それは、妙な所から、「音」として伝わって来たのだ。
足下からだった。すぐ目の前の、下の方から。
倫子は、体を低くした。何かがいる。いや、誰《だれ》かが、だろう。
じっと、息を殺していると、喘《あえ》ぐような、苦しげな息づかいが聞こえて来た。
誰だろう? 小池君じゃない!
突然、サッと光が射《さ》した。
「倫子! 何をしてる?」
父の声だった。
「お父さん!」
倫子は立ち止った。「そこを照らして!」
「何だって?」
「私のすぐ前を。——誰かがいるの」
光の輪が移動する。倫子は、ハッと息を呑《の》んだ。
倒《たお》れているのは、中山久仁子だった。脇《わき》腹《ばら》を押《おさ》えて、呻《うめ》いている。
赤い血が、広がっていた。