「馬鹿にしてるわ、本当に!」
と、奈々子は憤《ふん》然《ぜん》として言った。
「ごめんなさい。何とお詫《わ》びしたらいいのか……」
美貴は、すっかりしょげている。
奈々子が怒るのも当り前で、結局、あの男は、美貴が「引き止めてくれ」と言ったのとは別人だったのである。
そりゃ、週刊誌を丸めて持ってる男ぐらい、どこにだっているだろう。
「私、コーヒー二杯も飲ませてやって、そのあげくに、あの男の前で、盆踊りまで踊っちゃったんですよ!」
「ええ……。本当にごめんなさいね」
と、美貴は言ってから、おずおずと、「でも——とても上手だったわ、あの踊り」
と、付け加えた。
奈々子は、ふくれっつらで美貴をにらんでいたのだが——その内、自分が踊ってるところを想像して、プッと吹き出してしまった。
そして大声で笑い転げた。——美貴はびっくりして眺めていたが、その内、自分も一緒に笑い出したのだ……。
「奈々子さんていい人ね」
と、美貴は言った。
「おめでたいんですよ」
奈々子は、美貴と二人で、紅茶をいれて、飲んでいた。
「でも、美貴さん。その男の人って、誰だったんですか? 結局来なかったわけですもんね」
「そうね。どうしたのかしら」
と、美貴は眉《まゆ》をくもらせた。「実は、その人、探偵なの」
「探偵?」
「ええ。ある人のことを調べてもらって、今日、その結果をここへ持って来てくれることになっていたのよ」
「へえ。じゃ、この店が分らないのかしらね。でも、探偵が、場所を捜せないようじゃ、困りますね」
「何かあったんじゃないといいけど……。ちょっと電話をお借りしていい?」
「どうぞ」
奈々子も、全く、我ながら人がいい、と思ってしまう。
また、美貴という女性が、年は上でも、つい面倒をみてやりたくなるタイプなのも、確かだった。
「——もしもし。K探偵社? あの——山上さん、お願いします。調査を依頼した者ですけど」
と、美貴は言ってから、「——え?——それじゃ——」
と、青ざめる。
奈々子はびっくりした。何事があったんだろう?
「——分りました。じゃ、明日でも、またご連絡します」
美貴は電話を切った。
「どうかしたんですか?」
と、奈々子が訊く。
「山上っていう人なの。ここへ来ることになってて……。途中で、車にはねられて死んだんですって」
「あら。気の毒に」
「きっと、そうだわ」
と、美貴は椅《い》子《す》に戻って、肯《うなず》きながら、言った。
「何がです?」
「山上って人、きっと、殺されたんだわ」
「こ、殺された?」
奈々子は唖《あ》然《ぜん》とした。
「ええ……。きっとそうよ。そんな時に、たまたま車にはねられるなんて! そんなはずないわ」
「でも——」
と、言いかけた時、店の戸が開いた。
もうマスターの戻る時間だったので、マスターかと思って見た奈々子は、
「あれ?」
と、言った。「確か……」
「やあ、その節は」
と、野田が、入って来て言った。
そして、美貴に気付くと、目を丸くしながら、
「美貴さんじゃないか」
「野田さん……」
美貴は、少しこわばった顔で、それでも何とか笑って見せた。「どうして、ここへ?」
「うん。いや、たまたまこの前をね、通りかかったんだ。そしたら、〈南十字星〉って店の名が目に入って。で、彼女が確か、この店で働いてたんだなあ、と思って、寄ってみたんだよ」
「どうぞ、コーヒーでも」
と、奈々子は、早速サービスすることにした。
「じゃ、一杯もらおうかな。——美貴さん、まだ少し顔色が良くないね」
「そう? もう大丈夫よ」
と、美貴は言った。
「その後、ドイツの方から、連絡は?」
「ないわ」
「そうか。——すまないね。僕の方も、つい忙しくて」
「仕方ないわよ」
と、美貴は言った。「もう、あの人、帰って来ないかもしれないわ」
「そんなことないさ。大丈夫だよ。——や、どうも」
奈々子がコーヒーを出す。
美貴が、バッグを置こうとして、ミルク入れを倒してしまった。
「あ! ごめんなさい」
「いや、大丈夫」
と、野田が立ち上った。
「手が汚れちゃったわね」
「平気だよ。トイレはどこだっけ?」
「この外です。右へ曲ったところ」
「じゃ、ちょっと洗って来よう」
野田が、店を出て行くと、
「奈々子さん!」
美貴が、いきなり奈々子の腕をつかんで、「助けて!」
「え?」
「きっとあの人、私がここにいると知ってたんだわ」
「野田さんですか?」
「ええ。探偵と待ち合せてると知って、やって来たのよ」
「どうしてです?」
「あの人よ、探偵を殺したのは」
奈々子は唖然とした。
「でも——ご主人のお友だちでしょ?」
「ええ」
美貴は、ため息をついて、「でも、表向きだけの友だちなんて、いくらもいるわ」
「そりゃそうですけど……」
「主人のことも、きっとあの人よ」
「ご主人のことって?」
「野田さんが主人を殺したんだわ」
今度は、奈々子、言葉もない。
「——奈々子さん、私をあの人と二人にしないでね」
と、すがりつかれても困るのである。
野田が、手を洗って戻《もど》って来る。美貴は、何くわぬ顔に戻った。
「美貴さん」
と、野田は椅子にかけて、「こうしてせっかく会ったんだ。夕食でも一緒に食べませんか」
「え……でも——」
「そう遅くならない内に送るから」
美貴が、チラッと奈々子を見て、
「今夜、奈々子さんがおいしい所へ案内してくれることになってるの。先の約束だから」
私、何も言わないのに……。奈々子は、ふくれっつらになったが、美貴の方はお構いなしで、
「悪いけど、また今度ね」
「そうか。——じゃ、いっそのこと、三人で一緒にどう?」
と、野田が言った。「ねえ、奈々子君。僕がおごるからさ!」
「そ、そうですね」
どっちかというと、奈々子は野田と二人の方がいいのだが……。ま、そういうわけにもいかない。
「でも、今、マスターが留守で、私、ここから出られないから」
と、奈々子は言った。
もう知らん、という気分である。お二人でうまくやって下さい。
と、そこに——。
「ただいま」
と、マスターが帰って来る。
「あら、もう?」
と、奈々子はつい言ってしまった。
「何だい?」
マスターはキョトンとした顔で、奈々子を見た。
仕方ない。奈々子は、美貴たちをマスターに紹介した。
「お話はうかがいましたよ」
と、マスターが微《ほほ》笑《え》んで、「じゃ、夕食を一緒に? いいじゃないか。奈々ちゃん、行っといでよ」
奈々子ににらまれて、マスターは面食らったのだった……。