「どうなってるの?」
と、美貴は言った。
「知りませんよ」
と、森田もふくれっつらである。
「あなた、ボディガードとして、ついて来たのよ」
「分ってます」
「それなのに……。奈々子さんだけでなく、ルミ子まで、どこへ行ったか分らないなんて!」
美貴にしては珍しく怒っている。いや、野田が来た時も怒ったが、今の怒りは、正当なものだった。
「しかも、ペーターもいなくなって」
「いや、あの男については、私の仕事の範囲外です」
と、森田は主張して、美貴からジロッとにらまれてしまった。
森田の言い分にも一理あるのだが、今はともかく分が悪い。
「——やあ」
と、野田が部屋へ入って来た。「ルミ子君から連絡は?」
「ないわ」
と、美貴は首を振った。「本当にもう——どうしていいか分らない!」
「私としても、精一杯……」
と、森田は言いかけたが、全く無視されてしまった。
「困ったな」
と、野田はため息をついて、「あの奈々子君はともかく、ルミ子君は——」
「ちょっと。奈々子さんはともかく、って、どういうこと?」
「いや、どうでもいいってことじゃないよ。しかし、志村さんとしては——。まあ、とてもじゃないけど、知らせられないね」
「その点は同感よ」
と、美貴も肯《うなず》く。「主人を見付けるどころか、次々に行方不明がふえるばかりじゃないの」
すると、電話が鳴った。美貴は飛び上って、
「ルミ子だわ、きっと! どこかのディスコにでもいる、なんて言ったら、許さないから!」
と、受話器を取る。「——はい。——え?」
美貴が目を丸くして、向うの話に聞き入っている。
「——はい」
美貴は、電話を切った。
「どうしたんだ?」
「日本人よ。知らない声だわ」
「で、何だって?」
美貴はソファにドサッと身を沈めて、
「ルミ子を預かった、って」
「ルミ子君を?」
「夜中の十二時に、ここへ迎えに来るから、私一人で来い、って」
「じゃあ……」
「ルミ子まで捕まっちゃったんだわ!」
美貴は、改めて、森田をにらむと、「あんたはクビよ!」
と、宣言した。
「そんなこと言っても……。ずっとくっついてるわけにゃいかないんですから」
と、森田はブツブツ言ったが、「責任は取ります」
「どうやって?」
「腹を切ります」
「馬鹿らしい。やるなら、見えない所でね」
止める気はないらしい。
「——じゃ、こうします」
と、少し考えて、森田は言った。
「何を?」
「あなたのことです。せめて、あなたぐらいは守ってあげないと」
「どうやるの?」
「女装して、身替りになります」
美貴は、絶望的なため息をついて、顔を手で覆ったのだった……。
ルミ子は、真暗な中で、何とか手足のロープをゆるめようとしたが、こすれて痛いだけなので、諦《あきら》めてしまった。
——もう、ここへ放り込まれて、どれくらいたつだろう?
三日、四日?——まさか!
せいぜい一時間かそこいらだろう。
しかし、途方もなく長く感じたことは事実である。
その間、ルミ子の感情は、ペーターへの怒り、我が身を待つ運命への恐怖、とんでもないことになった、という後悔、の三つの間を、揺れ動いていた。
ペーターが麻薬捜査官というのは、でたらめだったのだろうか。
いや、もし本当だとしても、悪い奴らの仲間になって、おかしくはない。金で買収されたのかもしれない。
ともかく、ルミ子がここにいることは、他の誰も知らないのだから、助けが来ることは期待できないのである。
どこへ連れて行かれるんだろう? どこかのハレムにでも入れられるのかしら、可《か》愛《わい》いから……。
自分のことを可愛いと思っていられる内は大丈夫かもしれない。
——足音?
空耳かしら? いえ……。確かに、誰かが入って来ている。
誰だろう?
足音は、荷物室の扉の前で止った。扉が開くと、やはり大柄なドイツ人らしい男。さっきとは別の男だ。
ルミ子は、目が光になれないので、まぶしくて目を細くした。
すると、その男は中へ入って来て、ルミ子をヒョイとかかえ上げた。
何するんだろ? 入れたり出したり。——手荷物じゃないんだからね!
男は、何だかけがをしているようで、お腹に包帯を巻いている。
そして、ルミ子を抱いてジェット機を出ると、真直ぐに、森の方へと駆け出したのである。
ルミ子は面食らった。——何してんの、この人?
ともかく、ルミ子は、森の中へとかつぎ込まれ、地面へおろされた。ナイフを出すと男は、ルミ子の手足のロープを切ってくれたのだ。
——助けてくれた?
ルミ子は、しびれた手を振って、猿ぐつわを取って、息をついた。
「ルミ子さん」
突然、呼ばれて、ルミ子は、
「キャッ!」
と、飛び上った。
「しっ!」
と、身を寄せて来たのは。「大丈夫。——私よ」
「奈々子さん!」
ルミ子は、夢でも見てるんじゃないか、と頬《ほ》っぺたをつねった。痛かった!
「——良かった! 無事だったのね!」
「何とかね」
と、奈々子は言った。「この人、リヒャルト。私のこと、助けてくれたの。けがしてるけどね」
「ありがとう……。もうだめかと思った!」
「遠くで見ててね。何だかルミ子さんみたいだと……。一体どうしたの?」
どっちも、話すことは山ほどある。しかし、今は、思い出話(?)にふけっている時じゃなかった。
「ペーターの奴《やつ》よ! あのインチキ野郎!」
「え? ペーター?」
奈々子は、ルミ子の話を聞いて、唖《あ》然《ぜん》とした。
ペーターが敵の一味?——何てことだろ!
私にキスまでしておいて! 図々しい!
少々見当違いの怒りに、顔を真赤にしていたが……。
「私の方もびっくりよ」
と、奈々子は言った。「あの車のトランクに忍び込んで来たの」
「誰の車?」
「それがね……」
と、奈々子は言いかけて、「しっ! 車が出る」
男が二人、車に乗り込むと、走り出し、森の中の道を抜けて行く。
「——どこへ行くのかしら?」
と、ルミ子が言った。
「見当つくわ」
「え?」
「きっと、美貴さんを迎えに行くのよ」
と、奈々子は言った。
「じゃあ……。私が人質になったから?」
「たぶん。——でも、真相はどうなのか、見当もつかないわ。リヒャルト」
「ヤア」
「あんたが頼り」
と、奈々子は言って、リヒャルトの頬にキスした。「ともかく、様子を見ましょう」
「姉さんが連れて来られたら……」
「たぶん、何もかも分るわ。——三枝さんのことを、美貴さんは知っていたのか、どうか」
「三枝さんのこと……?」
「あの車に乗っていたのは、三枝さんだったのよ」
ルミ子は唖然とした。
「じゃ……生きてたの?」
「生きてたどころか。——あの連中のボスって感じね」
「ひどい!」
「平気で人も殺す奴よ。私たちは運が良かったけど」
と、奈々子は言った。「——三枝さん、ペーター、みんな敵か。こっちはけがしたリヒャルトと、機関銃が一つ。いい? ルミ子さんは逃げるのよ、何があっても」
「奈々子さんは?」
「私はね、まあ——死んでも、別に困る人はいないし……」
「そんなのだめよ!」
「放っておけない! あんなに冷《れい》酷《こく》に人を殺すなんて!」
奈々子は怒っていた。本気で怒っていた。
夜の寒さも、気にならないくらい、体の内に怒りが燃えていたのである。