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人形たちの椅子08

时间: 2018-09-06    进入日语论坛
核心提示:妹 電話が鳴り出して、敦子はふっと我に返った。 十一時をすこし回っている。誰からだろう?「はい」「あ、お姉ちゃん?」 妹
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 妹
 
 
 電話が鳴り出して、敦子はふっと我に返った。
 
 十一時をすこし回っている。誰からだろう?
 
「はい」
 
「あ、お姉ちゃん?」
 
 妹の寿子である。敦子は少しホッとした。声の調子で、泣きごとを言って来たのではないと分かる。
 
「何だ。どうしたの?」
 
「遅かったのね、今日」
 
「そう? 三十分くらい前に帰ったのよ」
 
「そのころも、かけたんだけど。じゃ、ちょっと前くらいだったんだね」
 
「らしいわね。どうしたのよ、楽しそうな声出して」
 
「分かる?」
 
「分からないでどうするの。今にも歌でも歌い出しそうな声よ」
 
 と、敦子はからかってやった。「どうしたの? 今、例の弁護士さんと二人なの?」
 
「今はちゃんと家から」
 
「そうか、前にはホテルから平気でかけて来たくせに」
 
「あれ、知ってたの?」
 
「私だって、あんたの思ってるほど世間知らずじゃないわよ」
 
「じゃ、あの人——何だっけ、有田さんとかいう人と、ホテルに行くの?」
 
「行かないわよ。こっちはね、ともかく忙しいの。何か用事だったんじゃないの?」
 
「十一月のさあ、二十一日って、お姉ちゃん、暇?」
 
「十一月二十一日? 何よ、それ?」
 
「私の結婚式」
 
 寿子がそう言って、照れたように笑った。
 
「ちょっと——ちょっと待ってよ」
 
 敦子が唖《あ》然《ぜん》としたのも当然だろう。
 
「ともかく、そういうことになったの」
 
「寿子、あんた……。今年の十一月?」
 
「一年も待ってらんないわ」
 
「だけど……お父さんとお母さんは?」
 
「渋々、承知してくれた。今夜ね、彼がうちへ来て、話してったの。それで納得してくれて」
 
 これは敦子には驚きだった。あの頑固な父が、よくコロッと気を変えたものだ。
 
 まあ、しかし——考えてみりゃ、寿子の彼氏は弁護士だ! 弁舌巧みなのは当然かもしれない。
 
「お姉ちゃん、喜んでくれないの?」
 
 と、寿子は心外という声を出す。
 
「おめでと」
 
「心がこもってない」
 
「馬鹿。何よ、散々夜中に長電話で愚痴を聞かせといて。ともかく、良かったね」
 
「うん」
 
 と、寿子は、弾んだ声で言った。「来年の春には、お姉ちゃん、『おばさん』だからね」
 
 なるほどね。そういうことか。
 
「何月なの、予定日は?」
 
「五月の初めくらい。でもね、結婚を許してもらうために、作ったんじゃないのよ。成り行きなの」
 
「何が成り行きよ」
 
 聞いちゃいらんないわね。——敦子は、メモ用紙を持って来て、
 
「二十一日? 時間と会場は?」
 
 と、メモを取った。「よく空《あ》いてたわね」
 
「仏滅だもん、その日」
 
「そうか、あんたの彼氏って、何ていうんだっけ?」
 
「手紙に書いたでしょ。山《やま》下《した》輝《てる》男《お》」
 
「山下さんか。私が帰る飛行機代、持ってくれる?」
 
「私が出すの?」
 
「ボーナス前よ。こっちは厳しいんだからね。それくらい出しなさい」
 
 これぐらいのことは言ってやらなきゃね。でも——敦子も嬉《うれ》しかったのだ。
 
 もちろん、年齢の離れた夫、中学生の男の子、という家庭なのだから、色々と苦労もあるだろうが、寿子は、そう個性の強い子ではないので、却《かえ》って昔から、たいていの人には好かれる子である。その点は敦子の方が少し頑固で、父親に似ているのかもしれなかった。
 
「——ともかくおめでとう」
 
「うん、詳しいことは手紙に書くわ」
 
「ハネムーン、行くの?」
 
「うん。オーストラリア」
 
 敦子は、引っくり返りそうになってしまった……。
 
 電話を切って、何とまあ呑《のん》気《き》なもんだ。——下の子っていいわね。長女としては、ついため息の一つも出るのだった。
 
「あの——」
 
 と、声がした。
 
 振り向くと、お風《ふ》呂《ろ》を出た竹永智恵子が、パジャマ姿で立っている。
 
「熱すぎなかった? 私、いつも熱いのに入るから」
 
「いいえ。うちも、私も父も熱いお風呂が好きでしたから」
 
 ほてって、頬《ほお》が真っ赤だ。見ていて、思わず敦子も微《ほほ》笑《え》んでしまうほどだった。
 
「ドライヤー、その鏡台の所に——。お布団が、ほとんど出したことないから、冷たいかもしれないけど、我慢してね」
 
「ええ。どうもすみません」
 
 智恵子は、敦子の前に、きちんと正座すると、「今夜だけ、お世話になります。明日、何とか泊まる所を捜しますから」
 
「いいから、早く寝て。疲れてるでしょ。私長風呂だから、眠ってていいのよ」
 
「はい」
 
 智恵子は素直に肯いて、ピョンと頭を下げ、「おやすみなさい」
 
 と、言った。
 
 ——敦子は、熱いお風《ふ》呂《ろ》につかって、フーッと息をついた。
 
 こっちが近くの温泉にも行かずに仕送りしてるっていうのに、寿子はオーストラリア、ね……。ま、勝手にやってよ。
 
 しかし、差し当たり、寿子の方の問題はほぼ片付いたわけだ。その代わり、といっては変だが、結局、竹永智恵子をここへ連れて来てしまった。
 
 放り出して来るわけにもいかなかったのだ。何といっても、まだ十七の女の子。夜の町をふらついていたら、補導されるか——いや、妙な連中に捕まらないとも限らない。
 
 まあ、今日一晩だけ、というわけにはいかないだろうが、二、三日の内には、智恵子も学校の先生にでも連絡して、どうするか相談したい、と言っているから……。
 
 あの、智恵子の父親の写真を見た時、敦子は自分の直感が当たっていたことを知ったのだった。
 
 智恵子の父、竹永喜市は、あの時、七人のリーダー格で、敦子につっかかる仲間を抑えてくれた男だったのである。
 
 そして乱闘騒ぎの時、有田は竹永喜市を放り投げ、円柱に頭を打ちつけた竹永は、意識を失ってしまったようだった……。
 
 その竹永が、翌日、帰りの集合場所に現れなかったというのだ。——どういうことなのだろう?
 
 頭を打っていた、というのが、敦子は気になったのだ。あの後、専務の国崎が組合員たちと話した時、竹永はその場にいたのだろうか?
 
 一《いつ》旦《たん》、良くなったように見えて、当人も平然としていても、後になって突然倒れる、ということもある。特に、頭を強く打っているのだから……。
 
 あの夜、七人の組合員が別々に泊まって、竹永は、東京に知人もないらしいから、どこか安いホテルにでも泊まったのかもしれない。そこで、容態が急変したとしたら……。
 
 身《み》許《もと》もよく分からないまま、どこかへ入院してしまったことも考えられる。
 
 ——どうしたものだろう?
 
 敦子は、考え込んだ。
 
 大西は、あてにならない。あの時、大西は竹永と話していた。互いに見知っていた様子だったのだ。
 
 それなのに、智恵子が訪ねて来たことを知らせた時、
 
「そんな名の男もいたな」
 
 と、言っている。
 
 おそらく智恵子の名を聞いて、すぐに思い当たったのだろうが、そうは言いたくなかったのに違いない。ということは、大西に相談してもむだ、ということだ。
 
 でも、放っておくわけにはいかない。
 
 敦子は、あれこれ考えすぎて、さすがにのぼせてしまった。
 
 
 
 目覚まし時計が鳴り出した。
 
 敦子は、布団の中から手を伸ばして、時計をうまく捕まえた。全然見なくても、ちゃんと手が時計の場所を憶《おぼ》えている、というのは、大方の勤め人なら同様に持っている「特技」だろう。
 
 ベルを止めて、さて、起きなきゃいけないんだわ、と自分へ言い聞かせる。今は、真冬や真夏に比べれば、ずっといい季節で、起きるのも楽なはずだが……。まあ、理屈通りにはいかないものである。
 
 お隣の家のミソ汁が、ずいぶん匂《にお》って来るわね、と敦子は思った。窓が開いてたのかしら? まさか。
 
 空腹を刺激してくれること。——敦子は欠伸《あくび》しながら、ゆっくりと頭を上げた。
 
「おはようございます」
 
 突然声がして、敦子はびっくりして起き上がった。まだ部屋はカーテンが引いてあって、薄暗いが、台所だけ明かりが点《つ》いていて、竹永智恵子が敦子のエプロンをつけて、流しに立っている。
 
 敦子は、すっかり目が覚めてしまった。
 
「あなた……もう起きたの?」
 
「くせで、いつも目が覚めるんです。——あ、まだ寝てらして下さい。もう少しかかりますから」
 
 低血圧の敦子は、あまり勢いよく起きると、貧血を起こすことがあるので、少し寝床でぐずぐずすることにしていた。しかし、智恵子が起き出しているのに、まさかゴロゴロしてられやしない。
 
「そんなこと、しなくていいのよ」
 
「でも……。お世話になったんですから」
 
「へえ、義理固いのね」
 
「いつも父のお弁当をこしらえてましたから、慣れてるんです」
 
 めったに使わない電《でん》気《き》釜《がま》が、シューと蒸気を吹き出している。
 
「ご飯まで炊いたの? お米ってあったかしら? 少し古かったかもしれないわよ」
 
「表に行って買って来ました」
 
「買って来た?」
 
「といでから、時間がなかったんで、少し固めのご飯かもしれませんけど」
 
「そんなのいいけど……」
 
「おミソ汁の具はお豆腐とワカメだけですけど。あと、干物を買って来ました。煙が出るけど」
 
 二十四時間開いている店も、確かにこのへんにはある。しかし、どうも敦子としては、立場がない感じである。
 
 じゃ、まあともかく……。顔でも洗いますかね。
 
 顔を洗って、服を着ると、ちょうど、干物も焼き上がって、おいしそうな匂《にお》いが、狭い部屋の中を満たしている。
 
「今、お茶をいれます」
 
 と、智恵子は微笑して言った。
 
 きっとご近所がびっくりしてるわね、と敦子は熱いご飯を食べながら、思った。
 
 一体どういう心境の変化かと目を丸くするに違いない。
 
「ねえ、あなたも食べたら?」
 
 と、敦子は言った。「一人じゃ食べ辛いわよ、私」
 
「はい。ちゃんと干物も焼いてますから」
 
 智恵子は、自分で、小さな茶《ちや》碗《わん》にご飯をよそった。
 
「何だか、旅館にでも泊まった気分だわ」
 
 と、敦子は笑った。「あなたって、たいしたもんね」
 
「誰だって、慣れれば」
 
 と、智恵子は、少し照れて言った。
 
「私にも妹がいるけど、こんなこと、できないんじゃないかしら」
 
「ゆうべ、お電話してらした……」
 
「そう。今度結婚するの。でも、どうせ何もできない新妻ね」
 
「うちだって、母がいるころは、私、何もしませんでした」
 
 と、智恵子は言った。
 
 食べるのが早い。きっと、後の片付けもしなくてはならないので、自然に早く食べるようになるのだろう。
 
「買い物のお金、どうしたの?」
 
 ふと気付いて、敦子は訊《き》いた。
 
「父の退職金、持ってますから。大したことないけど、当分は何とか——」
 
「いけないわ。後でちゃんと払うから」
 
「泊めていただいたんですから」
 
「お金を取れるような高級マンションならともかくね」
 
 と、敦子は苦笑した。
 
「あの」
 
 と、智恵子はおずおずと、「買い物して戻る時に、アパートの人が、出かけるのと会っちゃったんです」
 
「そう、そんなに早いのは……。長い顔した人?」
 
「ええ、そうです。髪の半分白い」
 
「一階の高《たか》瀬《せ》さんだわ。何か言ってた?」
 
「おはようございますって挨《あい》拶《さつ》して、何だか不思議そうな顔で見るんで、つい、私——」
 
「何て言ったの?」
 
「こちらの親《しん》戚《せき》です、って。すみません、勝手なこと」
 
「いいのよ。それが一番無難でしょ」
 
 と、敦子は言った。「娘です、じゃちょっとショックだけど」
 
 智恵子が、軽く、弾《はじ》けるような声で笑った。それは、敦子が遠い昔によく友だちの間で耳にした声だった。
 
「今日は、どうするの?」
 
 と、敦子は訊《き》いたが、すぐに付け加えた。「別に、早く出てくれ、って言ってるわけじゃないのよ。疲れていたら、ゆっくりしてればいいし……」
 
 妙なものだ。本当なら、縁もゆかりもない少女である。ここに置くいわれもないのだが……。
 
 あの事件のことは、智恵子も知らない。どうして敦子が、ここにいていい、と言うのか、不思議だろう。
 
「ともかく、こっちへ来てる友だちとか、捜してみようかと思ってます。学校の先生にも、電話を入れないと」
 
「そうね。でも、泊めてくれる人って、なかなか」
 
「分かってます」
 
 と、智恵子はお茶を、残ったご飯にかけながら、「どこか、住み込みで働ける所を捜しますから」
 
「でもね、あなたまだ十七でしょ? もし、良さそうな仕事があるな、と思っても、勝手に決めちゃだめよ。必ず私に言って。分かった?」
 
「はい」
 
「人を騙《だま》すのが商売ってのも沢山いるんだから。もし、何なら、私が仕事を捜してあげる。あなた一人じゃ、危ないわ」
 
 何もそこまでしなくても、と自分では思うのだが、ついこんな言葉が出てしまうのは、長女意識というものなのだろうか。
 
「——あ、もう行かないと」
 
 敦子は、鏡台の前に行って、ごく簡単に化粧を済ませた。
 
「悪いわね、片付けが——」
 
 智恵子がいない、と思ったら、玄関で敦子の靴を拭《ふ》いている。
 
「ちょっと! 安物の靴だから、こすると穴があくわ」
 
 いくら何でも……。しかし、何ともむずがゆいような気分である。
 
「じゃ、何かあったら、会社へ電話して。電話のそばに書いてあるから」
 
「はい」
 
「あ、これ——ここの鍵《かぎ》」
 
 と、引き出しからスペアの鍵を出して来る。
 
「出かける時はかけてね」
 
「行ってらっしゃい」
 
 ——送り出されるってのは、妙な気持ちである。
 
 考えてみれば、見も知らぬ女の子に、鍵まで預けて。大したお金も置いていないが、通帳も印鑑も引き出しの中。
 
 でも、敦子は、明るい気分だった。足取りも軽く、歌でも歌い出しそうだ。
 
 アパートを出ると、一階の例の水町の奥さんが、表をはいている。
 
「おはようございます」
 
 と敦子が声をかけると、
 
「おはよう」
 
 と顔を上げて、「親《しん》戚《せき》の娘さんがみえてるんですって?」
 
 敦子は情報の早さに驚きながら、
 
「ええ、何日かいると思います」
 
 と答えていた。
 
 
 
 本当に——何を考えてるのよ。
 
 敦子は、いつも通りに超満員の地下鉄に揺られて会社へ向かいながら、思っていた。
 
 寿子は結婚するし、両親の面倒だって、まだ当分はみなくてはならないだろうし……。赤の他人をアパートへ置いてやる余裕なんて、どこを捜したってありはしない。それなのに……。
 
 地下鉄の混雑は、相変わらずひどい。これから寒くなると、ますます厚着になって、混雑の度も増すのである。
 
 時には、人の圧力で、窓ガラスが割れることさえある。あの厚さのガラスが。——人間の体って、丈夫にできてるんだ、などと、妙なところで感心したりして……。
 
 誰だって、うんざりして、そして諦《あきら》めている。じっと目を閉じて、無我の境地って人もいる。
 
 実際、立ったまま眠ったって、こうもびっしりと人が詰まっていると、倒れる心配はまずない。敦子も、眠りこそしないが、目をつぶっていることが多かった。
 
 たまには、何かの拍子でガラ空きの電車が来て、座ってのんびり行ける、なんてことはないかしら。——勤めている人間なら、誰だって、そんなことを一度は考えるだろう。
 
 しかし、もし本当にそんなことがあったら……。喜ぶよりも、不安になって、落ちついて座っていられなくなるのではないか。
 
 勤め人は——男も女も関係なく——今日も昨日と同じで、明日が今日と変わりない、ということを前提にして生活しているのだ。
 
 敦子が、あの竹永智恵子のために、何かしてやりたいと思っているのは、一つには、あのロビーでの乱闘事件を自分が目撃していたからなのは、言うまでもない。でも、それだけではなくて、この同じ毎日の中に飛び込んで来た「厄介ごと」に、どこか爽《さわ》やかな驚きを覚えていたからでもあったのだ。
 
 自分自身の十年前は、果たしてどんな風だっただろうか? そんなことを思うのも、智恵子を見たからだ。
 
 敦子は、会ったばかりのあの少女を、昔の寿子に出会ったような、懐かしさで見ていたのである。——新しい妹みたいな、と言ってもいい。
 
 ともかく、できるだけのことをしてやりたい、と敦子は思った。もちろん、敦子の力でやれることなど、限られてはいるとしても……。
 
 地下鉄の駅から階段を足早に上って行くと、
 
「おはよう!」
 
 と肩を叩《たた》かれる。
 
「あら、早いのね」
 
 と、原久美江の顔を見て言った。
 
「へへ、ご近所からの出勤だもん」
 
 どこかのホテルに泊まって来たのだ。それでいて、ちゃんと服を替えているのに、敦子は感心してしまった……。
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