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人形たちの椅子21

时间: 2018-09-06    进入日语论坛
核心提示:寒い日 土曜日一日、敦子はあまり外へ出なかった。 明日は、有田の家へ、両親との顔合わせに行くことになっている。有田から連
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 寒い日
 
 
 土曜日一日、敦子はあまり外へ出なかった。
 
 明日は、有田の家へ、両親との顔合わせに行くことになっている。有田から連絡があるかと思って、待っていたのである。
 
 しかし、午後、かなり遅くなっても、電話は沈黙したままだった。もちろん有田の家の番号も知ってはいるが、かかってくるのを待った方がいいだろう、と思った。
 
 昨日の、平山からの連絡を聞いて、大西がどうするか。敦子には見当もつかなかった。しかし、敦子にはどうしようもないことだ。
 
 ——夕方になり、食事の用意をするのも面倒で、外で何か食べて来ることにした。
 
 財布を手に、コートをはおって、玄関のドアを開けると、敦子は震えた。
 
「寒い……」
 
 風がここまで吹き込んで来る。
 
 アパートから外へ出ると、敦子は空を見上げた。重く、鈍い灰色の空。雪でも落ちて来そうな様子である。
 
 敦子は、足早に歩き出した。マフラーをして来れば良かった。えり首が風で痛いほど寒い。
 
 ともかく手近な所、というので、いささか安っぽい感じのソバ屋へ飛び込んだ。
 
「——鍋《なべ》焼《や》き下さい」
 
 と、注文して、熱いお茶が来ると、喜んで両手で茶《ちや》碗《わん》を挟み、あたためる。
 
 店の中にいても、コートを脱ぐ気にはなれなかった。
 
「毎度どうも」
 
 と、声が飛ぶ。
 
 客が出入りすると、その度に冷たい風が入るので、店にいる客はみんな顔をしかめている。
 
 敦子は、少し体があったまったので、縮めていた筋を伸ばすように、頭を左右へかしげて、肩をもんだりした。
 
 ガラッと戸が開いて、反射的に目をやると、敦子は、目をみはった。
 
「どうも」
 
 と、頭を下げたのは、松山という男だった。「座っていいですか」
 
 敦子は黙って肯いた。松山は、青い顔をしていた。「いや、凍え切っちゃって……。タヌキ一つね」
 
 と、松山は手をこすり合わせた。
 
「私を見張ってたんですか」
 
 と、敦子は言った。
 
「ええ。すみません。相原さんに言われて」
 
 松山は、運ばれて来たお茶を一気に飲み干して、息をついた。「——生き返った!」
 
 敦子は、黙って、割りばしを手に取って、パチンと割った。
 
「見張ってるのに、こんなことしてて、いいんですか? 目の前で」
 
 と、敦子は訊《き》いた。
 
 松山は、ちょっと照れくさそうに、
 
「いや、智恵子って子が、この間、最後の最後であなたをかばったでしょう。あれを見て、何だか……。気が咎《とが》めてしまいまして」
 
 敦子は、あまり腹を立てる気にはなれなかった。智恵子と会って、なごやかに話をしたせいもあるだろう。
 
「仕方ないでしょ。あなたもお仕事なんですから」
 
「いや、そんな風に言われるとますます辛いですね」
 
「ご心配なく。あなたのタヌキが来たら、この唐辛子、全部入れてあげますから」
 
 松山は、呆《あつ》気《け》に取られたように敦子を見て、それから、笑い出した。
 
 ——奇妙なものだ。
 
 相原たちに詰問され、泣き出しまでしたのに、むしろ今はさっぱりした気持ちで、この松山と話していることができる。
 
「いや、実はね」
 
 と、松山が、ちょっと心配そうな顔になって、「あの智恵子って子が、マンションからいなくなったんですよ」
 
「え?」
 
「いや、もちろん、どこかへ出かけただけなのかもしれないけど……。外出する時は、必ずあのマンションの管理人に、声をかけていたんです。それを、何も言わずに出て行ったというので……」
 
「私、何も知りませんよ」
 
「ええ、そうだと思います。ただ、相原さんは、あなたしかあのマンションを知らないんだから、もし、智恵子が連れ出されたのなら、当然あなたは知ってるはずだ、と……」
 
 敦子はムッとした。
 
「私が誘拐犯だというんですか」
 
「僕はそう思いません。この間のようなやり方に、あの娘《こ》が反発してたのは知ってますしね。どこか友だちの所にでも行ったのかもしれない。でも、相原さんはひどくピリピリしてるから……」
 
 ——敦子の鍋《なべ》焼《や》きと、松山のタヌキが同時に運ばれて来て、伝票が一つになっている。
 
「あら、これ別々に……。いいわ、私、払っておくから」
 
「とんでもない! うどん一杯ぐらい、僕がおごりますよ」
 
「でも——」
 
「この間のお詫《わ》びですから」
 
 そう言われて、敦子はちょっとためらってから、肩をすくめた。
 
「分かったわ。それじゃ……。買収されたわけじゃありませんからね」
 
 二人は、何となく笑い出してしまった。
 
「みみっちいな、どうも」
 
 と、松山は言って、はしを割った。
 
「お互いにね」
 
 敦子は、熱いうどんを食べ始めた。
 
 松山は、ほとんど一気に、タヌキうどんを食べてしまって、敦子を唖《あ》然《ぜん》とさせた。
 
「——相原さんは、ここんとこ、ちょっと苛《いら》立《だ》ってるんです」
 
「何かわけでも?」
 
「例の事件、よそでもかぎつけた様子なのでね」
 
「あの喧《けん》嘩《か》のこと?——何か他にないのかしら! あんなことを、いくらほじくり出しても——」
 
「しかし、やっぱり大問題ですからね」
 
「ええ、それはよく分かってます。私が言いたいのは、あなた方だけで沢山、ってことです」
 
「仕方ないですよ。マスコミというのは、そんなものです。船に乗り遅れるな、ですよ」
 
「合同記者会見でも開かなきゃね」
 
 と、敦子は言ってやった。
 
 おそらく、このまま隠し切ることはできないだろう、と敦子は思った。
 
 他社も、この事件をかぎつけたとなると、あの相原という男は、一日でも早く、このニュースを出そうとするに違いない。それで傷つく人間のことなど、考えている余裕はないだろう。
 
 そうなったら……。有田との結婚はどうなるだろう?
 
 そんなこと関係ない! 私は私で、幸せになったっていいはずじゃないの。それを邪魔する権利なんて、誰にもない。
 
「じゃ、これ、払っときますから」
 
 松山が伝票を取る。敦子はハッと我に返った。
 
 
 
 部屋へ戻ると、ちょうど電話が鳴り出していた。敦子はあわてて上がって、電話へと駆け寄った。
 
「はい」
 
「やあ、出かけてたのか」
 
 有田だ。いつも通りの明るい声に、敦子はホッとした。
 
「夕ご飯にね。電話、待ってたのよ」
 
「ごめん。親《おや》父《じ》がね、明日、家にいられるかどうか分からないとか言い出してさ」
 
「あら、ご用事?」
 
「いや、もういいんだ。用は片付いたから、明日は家にいる、ってさ」
 
「そう。それじゃ……」
 
「昼を一緒に家で食べよう。十一時ごろ、駅の改札口で待ってるよ」
 
「ええ、いいわ」
 
「車で迎えに行こうか?」
 
「いいわよ。途中、買い物もして行きたいし」
 
「手みやげなんて、気にしなくてもいいぜ」
 
「そんなわけにはいかないわよ」
 
「そうかい?」
 
「当然でしょ」
 
 つい、「長女」らしい言い方になってしまう。敦子は、ちょっと反省した。
 
「ねえ、あの——」
 
 と、言いかけて、敦子は、ちょっとためらった。「今、お宅から?」
 
「うん。何だい?」
 
 と有田は言って、すぐに、「TV局のことなら、大西さんから連絡があったよ」
 
「そう」
 
「しつこいな、本当に。平山さんの所へ行ったんだって。君、聞いたの?」
 
「平山さんから」
 
「ま、気にするなよ。大西さんがね、うまくやるからって」
 
「大西さんが?」
 
「任せときゃ大丈夫さ」
 
「そうね」
 
 と、敦子は言いながら、考えていた。
 
 有田は、敦子があの相原たちに、ビデオをとられたことを、知らないようだ。平山はしゃべらなかったのだろう。
 
 本当なら敦子から言うべきだろうが……。しかし、大西がうまくやる、と言っているのなら……。どうするつもりなのかは知らないが。
 
 明日、有田の両親に会うというのに、今、そんな話をする気にもなれなかった。
 
「他に何かあるかい」
 
 と、有田は言った。
 
「いいえ、別に。じゃ明日は——」
 
「待ってるよ。気を楽にして来てくれよ」
 
「そんなわけにいかないわ」
 
 と、敦子は笑って言った。
 
「ねえ、帰りは車で送るからさ」
 
「そうしてくれれば助かるわ」
 
「途中、寄り道して行こうか。休憩に」
 
「お宅で心配するわよ」
 
 敦子は、笑いながら言って、同時に少し安心した。自分の知らないところで、何かが進んでいるのではないかと不安だったのだ。
 
 しかし、有田がいつも通りに明るいので、ホッとしたのだった。
 
「それよりさ、式場捜しとかしなきゃね」
 
「え?——あ、そうね」
 
 と、敦子は言った。「心当たり、あるの?」
 
「休憩に寄るのは気が進まないんだったら、そっちの用事ならいいんじゃない?」
 
「時間があったらね」
 
 敦子は、せっかちな子供のような有田の言い方に、苦笑しながら、言った。
 
 ——電話を切って、さて、差し当たりは明日のこと。
 
 何を着て行くかは、決めてある。あんまり天気が悪くないといいのだが。雪でも降ったら最悪!
 
 でも、そこまで私も運が悪くないだろう。
 
 敦子は、早めにやすむことにして、お風《ふ》呂《ろ》にお湯を入れ始めた。
 
 お湯が浴槽の底にはねて、立ち上る湯気は、敦子の心をほぐしてくれた。もっともっと、お風呂場一杯に立ちこめてほしい、と敦子は思った。
 
 
 
 いつも以上の長風呂になりそうだ。
 
 敦子は、お湯につかって、目を閉じていた。体の芯《しん》まで暖まるのには、ずいぶんかかりそうだ。
 
 こうやって——何もかも忘れている時間が、本当に楽しい。
 
 もちろん有田と結婚したら、一人でのんびりする時間というのは少なくなるだろうけれど……。また、それはそれで別の安らぎがあるはずだ。
 
 少なくとも、今、こうしてお風呂につかっている安らぎだけは、誰にも邪魔できない……。
 
「——敦子さん」
 
 浴室の戸がちょっと開いて、敦子は、飛び上がりそうになった。
 
「びっくりした!——いつ来たの」
 
「ごめんなさい」
 
 と、智恵子がペロッと舌を出して見せた。「ちゃんと、鳴らしたんですけど、返事がないんで」
 
「そう? じゃ、聞こえなかったんだわ。ああ、死ぬかと思った!」
 
 敦子はオーバーに胸に手を当てて見せた。
 
「すみません、覗《のぞ》いちゃって」
 
 と、智恵子はいたずらっぽく言って、「お布団、敷いときますね」
 
 ガタッと戸を閉める。
 
 敦子は、つい笑ってしまっていた……。
 
 ——風《ふ》呂《ろ》から上がると、智恵子はジーパンとセーターという格好で、寛《くつろ》いでいた。
 
「すみません、また押しかけて」
 
「いいけど、あの人たちに言ってないんでしょ。心配してたわよ、松山さんって人」
 
「ああ、あの若い人。——あの人、面白いんですよね」
 
 と、智恵子は言って、「でも、ここにいる、って言うわけにもいかないし」
 
「そりゃそうかもしれないけど……。ちょっとごめんなさい」
 
 敦子は、手早くパジャマを着て、「でもね、私があなたのこと、かどわかしたと思ってるみたいよ」
 
「かどわかす、なんて、古い!」
 
 と、智恵子は呑《のん》気《き》に笑っている。
 
「あなたは笑ってるけど、いやよ、私。ここにあなたを監禁してた、なんて言われて捕まるのは」
 
「大丈夫ですよ、当人がここに好きでいるんですもの」
 
「そりゃね。でも……何か連絡をしておいてよ」
 
「分かりました。——お風《ふ》呂《ろ》に入ってからでいいでしょ?」
 
 敦子も、笑うしかない。
 
「入って。冷めない内にね」
 
 と、言った。
 
 智恵子がピョンと勢いよく立ち上がった時、玄関のドアを叩《たた》く音がした。
 
 誰だろう? こんな時間に……。
 
 敦子は、智恵子の方に、黙っていて、と身ぶりで示して、
 
「どなたですか?」
 
 と、声をかけた。
 
 少し間があってから、
 
「平山だよ」
 
 と、返事があった。
 
「平山さん?——ちょっと待って」
 
 何事だろう? 敦子は迷った。智恵子も平山の名は知っている。
 
「私、出てましょうか」
 
 と、智恵子が言った。
 
「いいえ。ここにいて。私、話して来るから」
 
「でも、外で——」
 
「いいのよ。ね、ここにいて」
 
 智恵子は、肯《うなず》いて、
 
「分かりました」
 
 と、言った。
 
 敦子は、玄関へ降りて、細くドアを開けると、
 
「ちょっと待ってて。すぐ仕度するから」
 
 と、言った。
 
 平山は、沈んだ面持ちで、
 
「すまんね。少し前にも来てみたんだけど、まだ帰ってないようだったから」
 
「上がってもらうといいんだけど、人が来てるの。すぐ出て行くから、待ってて」
 
「そうか。じゃあ、下にいる」
 
「ええ。お願い」
 
 敦子は、ドアを閉め、急いでパジャマを脱いで、着替えた。
 
「平山さんって、あの人でしょ」
 
 と、智恵子が言った。
 
「ええ」
 
「何か分かったら、話して下さいね」
 
 智恵子の言い方は、控え目で、まるで哀願するようでさえあった。敦子は、
 
「約束するわ」
 
 と、答えて、コートを手に取った。「じきに戻るから」
 
 廊下へ出て、あまり足音をたてないように階段を下りる。平山は、アパートの入り口の所に立っていた。
 
 古いコートを着て、背中を少し丸めたその姿は、何だかひどく老《ふ》け込んで見えた。
 
「ごめんなさい」
 
 と、敦子は言った。「寒いでしょ?」
 
「いや、大丈夫。そう風もないしね」
 
 平山は、ちょっと上の方へ目をやって、「お客は、有田さんかね」
 
「有田さん? 違うわ」
 
 敦子は、歩き出しながら、「あの子よ」
 
「あの子っていうと……。あの、竹永って男の娘?」
 
「ええ」
 
「TV局の奴《やつ》は、自分たちが保護してるとか言ってたがね」
 
 と、平山は意外そうに言った。
 
「あの子の方から、帰って来たの」
 
 と、敦子は肩をすくめて、「何だか、私のこと、気に入ってくれてるのよ」
 
「そうかい」
 
 平山は嬉《うれ》しそうに、「あんたはいい人だからね。頼りたくなるんだ」
 
「でも、辛い立場よ。あの子のお父さんのこと、まだ話してやっていないのよ。もちろんあの子も、父親が死んでることは、察してると思うけど」
 
 昼間がひどく寒かったのに比べると、夜はそれほどでもなかった。風がないせいもあるだろうし、敦子はまだ風《ふ》呂《ろ》上《あ》がりだったからかもしれない。
 
「どこか——話のできる所、ある?」
 
 と、敦子が言って、「平山さんに訊《き》いても知ってるわけないわね」
 
「外でいいよ。どこか座れる場所はあるかね」
 
「でも、いくら何でも冷えるでしょ」
 
「大丈夫さ。それに、人の耳には絶対に入れられない話だ」
 
「じゃあ……」
 
 敦子は少し迷ってから、道を折れ、石段を上った。
 
 電車の音が、足下を駆け抜けて行く。
 
 私鉄の線路が、陸橋の下を通っていて、陸橋と、その両側が小さな公園になっている。
 
 暗くなってからは、痴漢が出たりするというので、敦子もあまり通らないが、こんな寒い時期はともかく、ベンチがいくつか並んでいて、よくアベックが身を寄せ合って座っていたりする場所である。
 
「ここなら、誰もいないわ。電車が下を通ると、少しうるさいけど」
 
「構わんよ。かけようか」
 
 二人は、少し足のガタつくベンチに腰をおろした。
 
「——電話で、女房があんな言い方をして、悪かったね」
 
 と、平山は言った。
 
「気持ち、分かるわ。私が余計なことをしなければ……」
 
「いや、あんたが何も知らなかったとしても、あの連中はいずれかぎつけたさ」
 
 コートのポケットに手を突っ込んだまま、平山は、息をついた。息が白く流れて行く。
 
「ねえ」
 
 と、敦子は言った。「何か知ってるの? 竹永さんが死んだことは、私も大西さんから聞いたわ。でも遺体は……」
 
「捨てた」
 
「——捨てた?」
 
 敦子の声はかすれていた。
 
「あの晩の内に、車で奥《おく》多《た》摩《ま》まで運んでね。湖に捨てた」
 
 平山は静かに言った。「大西さんの考えだった。夜まで、警備員室に置いておかなくちゃならなかったからね。こっちにも手伝えってことになったのさ」
 
 敦子は、体が震え出しそうになるのを、何とかこらえた。寒さは、身体の内側から敦子を凍らせた。
 
「大西さんと、平山さんと二人で?」
 
 平山は、答えなかった。敦子には、分かった。
 
「有田さんも、手伝ったのね」
 
「そう……。何といっても、自分が死なせた男だからね」
 
 平山はそう言ってから、「しかしね、何も竹永って男を憎くて、あんなことをしたわけじゃない。死んだと知った時は、ショックで真っ青になってたがね。大西さんは、会社のためにやったことなんだから、と慰めていたよ」
 
「三人で、遺体を捨てに行ったの?」
 
「そうだ。——ずいぶん悩んだよ、私もね。死なせたといってもわざとしたことじゃないし。警察へ届けるべきじゃないかとも思った。でも……。あれが公になったら、会社が非難されただろう。大西さんは、何としても、それだけは防がなきゃいけない、と言い張った」
 
「組合の他の人たちは、それを知ってたの?」
 
「死んだとは言わなかったが、たぶん気付いていただろうね」
 
 と、平山は肯いた。「重傷だが、後のことは一切、責任を持つ、と大西さんが説得したんだ」
 
「そして、あの人たちには新しい職場を、約束したのね」
 
「一切、口をつぐむという条件でね。仕方ない。人間、自分の家族が大切だからな」
 
「待って。それじゃ——」
 
 と、敦子は初めて思い当たった。「大西さんだけじゃないわね。専務も承知だったのね、きっと」
 
「そうだろうね。新しいポストを約束して、その通りに回してやるなんてことは、大西さんだけじゃやれない」
 
 敦子は、激しい動《どう》悸《き》を、鎮めようとして、深く呼吸をした。冷たい夜気が、胸を満たす。それは哀《かな》しみそのものの冷たさでもあった。
 
 あの夜、夜中に有田は敦子に電話をかけて来た。そして、結婚してくれ、と言ったのだ。あの時、何だか電話の声がいやに遠かったことを、敦子は思い出した。
 
 有田は、竹永の死体を捨てに行って、どこか、帰る途中から電話したのではないか。
 
 おそらく、自分がしたことの重みに押し潰《つぶ》されそうで、敦子に、救ってほしかったのかもしれない……。
 
「隠していて、悪かったね」
 
 と、平山は言った。
 
「仕方ないわよ。でも……ただの過失ですんだことなのに、そんなことまでして……」
 
「あの時は、三人ともどうかしていたのさ」
 
 と、平山は首を振った。
 
 どうかしていた……。
 
 そう言いわけするのは簡単だ。しかし、そう言えば責任が消えてなくなるというものでないことは、誰にだって分かるはずなのに。
 
 だが——敦子は、自分に、大西や平山を責める資格があるだろうか、と思った。もし自分が同じ立場に立たされたら、大西と同じようにしないという自信はあるか。
 
 自分一人の問題なら……。自分が罰を受けてすむことなら、会社をクビになっても、刑務所へ入れられても、それを堪えればすむことだ。
 
 しかし、今の敦子が、病気の父と、独り住まいになってしまった母を抱えているように、大西もまた、家族を——妻や子や、自分の両親のことを、考えただろう。目の前で起こったことの責任を、総《すべ》て取らされた時のことを考えて、大西が何とかして事件を闇《やみ》へ葬ろうとした、その気持ちは、敦子にも分からないわけではなかった。
 
 その責任は、一体どこへ持って行けばいいのだろう? 「会社」という、目に見えないもののために、人を殺してしまった、その罪は、誰が負ってくれるのか。
 
「——今日ね、大西さんが来たんだよ」
 
 と、平山が言った。
 
「平山さんの家へ?」
 
「うん。相談がある、と言ってね。家内と子供を買い物へ出して、大西さんと話し込んだ。いや——向こうが一方的にしゃべって行ったんだが。畳に頭をすりつけんばかりにして、頼む、と言ってね……」
 
 平山の言葉には、哀《かな》しい自《じ》嘲《ちよう》の響きがあった。「妙な気持ちだったよ。いつもこっちがペコペコしてる相手がさ、『君には本当にすまないと思ってる』なんて言ってるのを見てるとね」
 
 敦子には、平山の言おうとしてることが、分かった。
 
「平山さんが、一人でやったことにしてくれっていうのね」
 
「そうなんだ。——死なせたのも、死体を捨てたのも、全部、一人でやったことで、他の人は知らなかった、と——。そう言ってくれというんだ」
 
「有田さんは、何と言ったのかしら」
 
 と、敦子は呟《つぶや》くように言った。
 
「彼も、話を合わせることになってる、と言っていたよ。——あの時、喧《けん》嘩《か》には加わらなかったんだがね、私は。まあ、誰も詳しいことは憶《おぼ》えていないだろう」
 
 平山の顔は、青ざめていた。
 
「寒くない?」
 
 と、敦子は言った。「歩きましょうか」
 
「そうだね」
 
 二人は立ち上がって、歩き出した。
 
 その場を離れることで、そこで聞いたことからも逃げられる。
 
 敦子には、そんな気がしていたのである。
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