「本当に確かなのかよ」
と、ポチがブツブツ言っている。
「大天使様がそう言ったんだから」
「フン、当てにならねえな。大体どこでも上の方[#「上の方」に傍点]の言うことは、いい加減さ」
「あんたも言うわね」
マリは笑って、「夕ご飯、食べそこなったんで、機嫌悪いだけでしょ」
「フン……」
ポチはそっぽを向いた。
「あ、もうそろそろよ」
マリは、ポチの頭をポンと叩《たた》いた。
「いてえな。暴力反対」
「文句が多いの、あんたは」
バスが停《とま》って、マリはポチと一緒に降りた。——確か、この辺りだ。
「場所、分ってるのか?」
「この辺[#「この辺」に傍点]よ」
「当てにならねえな、全く」
と、ポチはまたグチった……。
マリは、通りかかった男に声をかけた。
「すみません」
「何?」
「この辺で、人殺しのあった家、知りません?」
サラリーマンらしい男は、薄気味悪そうにマリを眺めて、
「ちょっと……よく分らないんで……」
と、行ってしまった。
「愛想のない人ね」
「訊《き》き方がいけないや。いきなり『人殺し』なんて言われたら、向うだってびっくりするぜ」
「そうか……。じゃ、どう訊けばいいの?」
「まず、ニッコリ笑って、ていねいに言葉をかけなきゃ」
「——こう?」
「笑ってんのか、それで。虫歯でも痛いのかと思った」
「けとばすわよ」
また、誰《だれ》かやって来た。四十がらみの、大分くたびれた様子のサラリーマン。
ファー、と欠伸《あくび》をしているところへ、
「あの……」
と、マリは精一杯、優しい声をかけた。「お急ぎのところ、すみません」
男は足を止め、目をパチクリさせて、マリを見た。
「何だい?」
「ちょっとうかがいたいことがあるんですけど……。あの——私、決して怪しい者じゃないんです」
自分で言うのだから確かである。
「うん。なかなか可愛《かわい》いよ、君」
と、男は肯《うなず》いて言った。
「そうですか?」
と、マリは照れている。「まあ——時々、そう言われることも——」
「いくら?」
と、男が訊《き》く。
「は?」
「ちょっと遊んで、というんだろ? 相場なら、払ってもいいよ。あんまり高くちゃね」
「あの……」
「初めてです、なんて言ってもだめだよ。みんなそう言うに決ってるんだから」
マリは、ポカンとしていたが——やがて言われている意味をやっと理解して、
「鏡見てから、もの言って下さい」
と言ってやった。
男はキョトンとして、マリがプイと怒って行ってしまうと、首をかしげていた……。
「——馬鹿《ばか》にしてる!」
タッタと大股《おおまた》に歩いて行くマリを追いかけながら、ポチは大笑いしていた。
「いいアルバイトになったかもしれないぜ」
「何よ!」
「俺《おれ》に当るなよ」
「全くもう! ああいう人たちって、何考えて生きてんだろ!」
「人間なんてそんなもんさ」
「そんな人ばっかりじゃないわ」
と、マリは言ってやった。「——ともかく、自分で捜そう。あれ、何かしら?」
マリが目を止めたのは、夜だというのに、やたらに明るい場所があったからだった。
「人が大勢……。何やってんだろ?」
「ともかく見て来ようぜ。面白そうだ」
野次馬根性は、マリもポチも負けていない。
二人してノコノコと近付いて行くと……。
「TV局だわ」
と、マリは言った。
TV局の名前の入った車が停《とま》っていて、やたら明るいのは、ライトがいくつもあるせいだった。
大きなTVカメラが据《す》えられて、その正面には、マイクを持った女性、その後ろは、ロープが張ってあり、中へ入れないようになっていた。
「——どうやら、ここが現場だぜ」
と、ポチが言った。
「らしいわね……。見付けたのはいいけど……。これじゃ、やって来たくたって来られないわ、あの二人[#「あの二人」に傍点]」
「どうする?」
「あんた吠《ほ》えて、追い出してよ」
「犬一匹、吠えたぐらいじゃ無理だよ」
「そうか……」
困ったな、とマリが考え込んでいると、何だかカメラのわきであれこれしゃべっていたスタッフらしい男の一人が、マリの方へノコノコやって来たのである。
「君ね、暇?」
マリは面食らった。突然「暇か」と訊《き》かれることは、めったにない。
「別に……」
「ね、ちょっと今TVのワイドショーのための収録やってんだけどさ」
「はあ」
「ちょっと出てくれないかな」
「私がですか?」
「そう、知ってんだろ、例の消えた死体の話?」
「ええ」
「ここがね、二人の撃ち殺された家なんだよ。でね、ゾンビになった二人が、家の中からフラーッと現われる。で、君が画面にアップになって、キャーッて悲鳴を上げるんだ」
「二人が現われる、って……。どこにいるんですか?」
「もちろん、役者がメーキャップしてんのさ。それらしくね」
アホらしい、とは思ったが、
「私、それじゃ、悲鳴を上げりゃいいんですね」
ともかく早いとこ用がすんで、この人たちに引き上げてもらわないと困るのだ。
「そうそう。キャーッ、って元気良くね」
元気のいい悲鳴ってのも妙なものだ。
「大丈夫だね、君?」
「ええ」
マリには自信がある、いや、自信のある、数少ないこと(!)の一つが、「声のでかいこと」。
何しろ天国の合唱練習で、いつも大天使から、
「でかい声を出しゃいい、ってもんじゃない!」
と、叱《しか》られていたのである。
「じゃ、ちょっとやってみよう」
と、腕をとられて、カメラの前に連れて行かれる。
「ハハ、頑張《がんば》れよ」
と、ポチがからかっている。
「何か犬が吠《ほ》えてるよ。君の犬?」
「ええ。吠えてんじゃないです。笑ってるんです」
「へえ。笑う犬か。面白いね。——さ、アップにするからね。待って。——おい、マイク!——はい、これを上からぶら下げておくから。合図したら、思いっ切り叫ぶんだ。分った?」
「分ります」
「キャーッ、ってだけだからね。馬鹿《ばか》でもできるだろ」
ポチがケラケラ笑っている。マリはムカッとしたが、何とか抑えた。
「音声、いいかい?——三、二、一。はい!」
マリは、特に息を吸い込むでもなく、そのままの体勢から、思い切り、
「キャーッ!」
と、叫んでやった。
——やや沈黙があって……。
「おい! 大丈夫か?」
へッドホンをつけて、音をチェックしていた男が、地面に引っくり返っていたのである……。
「ね、君。どうだろう」
と、TV局の男はしつこく食い下がっている。
マリは馬鹿らしくて、まともに返事をする気にもなれなかった。——TVタレントにならないか、というのだ。それも、「可愛《かわい》い」とか、「雰囲気《ふんいき》がある」とか言われるのならともかく、
「あの悲鳴なら、TVのサスペンス物に使える!」
というのだから!
「あの——早くしてくれませんか?」
「うん、やるけどね、しかし惜しいな、あの悲鳴は……」
と、未練がましく首を振りつつ、レポーターらしい女性の方へと駆けて行く。
「呆《あき》れたもんね」
と、マリが腕組みをしていると、
「いいじゃねえか。今度から食えなくなったら、〈悲鳴屋〉をやれよ」
「そんなの、商売になるもんですか」
と、マリは笑った。
「女がいるんだ」
と、ポチは言った。
「女?」
「あの電柱のかげに。じっとこっちを見てるぜ」
マリは、チラッと目をやっただけだった。
「見物人じゃないの?」
「ずっと立ってる。ただの見物人じゃないと思うぜ」
「分ったわ。見張ってて」
と、マリは言った。
「はい! 準備いいね!——君、ここへ来て」
マリは言われた地点に立った。
「ここでいいんですか?」
「そう。で、家の玄関の方を向いて。中から出て来るからね」
「中、入っちゃいけないんでしょ?」
「なあに、後で謝っときゃすむんだよ」
無茶苦茶なんだから!
「——じゃ、行くよ!」
さっき引っくり返った、音声の係りが、あわててヘッドホンを外したのを見て、マリは吹き出しそうになった。
「おい! いくぞ、出て来い!」
と、声を上げると——玄関のドアは、一向に開かない。
「何やってるんだ!——君、ちょっと待ってね、叫ぶの」
マリは、肩をすくめた。何でもないのに叫ぶか、って。
「おい! 一体どうしたんだ!」
と、呼びかけると、ドアがパッと開いた。
そして——何だか紫色の顔に、ボロボロの服という扮装《ふんそう》の男二人が、
「ワーッ!」
「キャーッ!」
と叫びながら、飛び出して来たのだ。
「馬鹿《ばか》! お前らが叫んじゃ、仕方ないだろうが!」
しかし、二人の役者は何も言わずに逃げ出してしまう。——どうしたのかしら?
マリは、開いた玄関の所に誰《だれ》か立っているのに気付いた。
「まだ誰かいるのか? 役者二人だぜ、雇ったのは」
明るいライトを浴びて、少しまぶしげな顔で出てきたのは……。
マリは、目をみはった。——あの男[#「あの男」に傍点]だ!
きちんと背広を着てネクタイをしめているが、あのミユキという女性の首を絞めていた男とそっくり同じだ。
「何だ。君は?」
と、TV局の男が顔をしかめて、「あのね、収録の邪魔はやめてくれないか」
「——キャーッ!」
と、悲鳴を上げたのは、マリではなく、レポーターの女性だった。
マイクを放り出して、逃げ出してしまう。
「おい、どうしたんだ?」
「その……その男……」
スタッフも気が付いたらしく、真青になっている。
「何だよ」
「本物[#「本物」に傍点]だよ……」
どうやら、この人、宮尾兄弟の写真も見てないんだわ、とマリは思った。いい加減な奴《やつ》!
「——まさか」
と、ちょっと笑ってから、急に青くなると、「逃げろ!」
ワーッと一斉に逃げ出して——車も器材も置きっ放し。
その男[#「その男」に傍点]は、ゆっくりと外へ出て来た。マリもさすがに膝《ひざ》が震えた。
一度死んだ男[#「一度死んだ男」に傍点]なのだ。それが、こうして歩いている……。
「君は——逃げないのか」
と、その男が言った。
「あなたを捜してたんです」
と、マリは言った。
「僕を?」
「天国からの命令で。私——」
と、言いかけた時だった。
タタッと足音がして、女が一人、手にナイフを握りしめて、駆け寄って来る。
「人殺し!」
と、女は感情をぶつけるように、甲高い声で叫ぶと、「殺してやる!」
ナイフを突き出して、その男へ向って突っ込んで行く。
「待ってくれ!」
男が飛び上った。
そこへ、ポチが猛然とマリのわきをすり抜けて、パッと宙へ飛ぶと、女の体に体当りした。女がよろけて、ナイフを取り落とす。
マリは急いで駆け寄ると、そのナイフをつかんだ。
「落ちついて下さい! あなたは——」
「分った。あの時のお母さんですね」
と、男が言った。「僕を兄と間違えてらっしゃる。——僕は弟の勇治です」
「え……?」
女はハアハアと喘《あえ》ぎながら、男を見つめた。
「いや——兄のしたことで、僕も恨《うら》まれても仕方ない。もし、それでお気がすむのなら、殺して下さい」
女は、よろける足で、その男の方へ歩み寄ると、まじまじとその顔を見つめた。
「——そうでしたね。ごめんなさい。私、てっきり……」
と、うなだれる。「すみません……」
マリはホッと息をついた。
「宮尾勇治さんですね」
「そう。兄も、いつかここへ来ると思うんだけど……。それとも、もう来たかもしれないな」
女が、しゃがみ込んで泣き出す。
マリは、少し離れた所へ、宮尾勇治を連れて行った。
「私、天使なんです。今はこんな格好してますけど」
と、マリは言った。
「天使? 天国の?」
「手違いで、あなたとお兄さんが生き返ってしまって、大変なんです。あなた方は死んだんですから」
「なるほど、——変な気分だったよ。生き返ったと知った時はびっくりして……。でも、きっと重傷で助かったんだな、と思った。ところが新聞を見てね、びっくりした」
と、勇治は言った。「それに、何となく足がこっちを向くんだ。どうしてかよく分らないままに着いたら、この家だった……」
「一旦《いつたん》、死んだ所へもどるんだそうです」
「そうなんだね、きっと。だから、兄もたぶんここへやって来ると思うんだ」
マリは、目の前の男に好意を抱いた。もちろん一目惚《ひとめぼ》れってわけじゃない。しかし、好感を抱かずにはおれない男性だったのである。
しかし——務めは果さなくてはならない。
マリは、ふと胸の痛むのを覚えた。兄の方ならともかく、この弟は、母子《おやこ》を助けようとして、兄に撃たれて死んだのだ。
命を取り戻して、もう一回生きられるかもしれない、と思っているのに……。その希望を、取り上げなくてはならないのだ。
「あの——宮尾勇治さん。本当に言いにくいんですけど、手違いは訂正しなきゃいけないんです。天国の方としても困ってるんで……」
と、マリはおずおずと言った。
「ああ、分るよ。——僕は構わない。まあ、せっかく生き返って、少し残念だけどね。施設のことで、色々やり残したこともあるんだが。でも、こんな状況じゃ何もできないしね」
「じゃ、分っていただけます?」
「僕は天国へ行けるのかい?」
「もちろんです!」
「じゃ、死ぬのも怖くない。痛い思いをするのかね、もう一回?」
「さあ……。その辺は私から大天使様に交渉してみます」
「頼むよ」
と、勇治は微笑《ほほえ》んだ。「しかし、君が天使ってのは、正にピッタリだねえ」
マリはポッと頬《ほお》を染めた。——照れてる場合か!
「ただね、兄の方を『連れ戻す』のは容易じゃないよ」
「分ってます」
勇治は、玄関先にしゃがみ込んで、すっかり放心している様子の女へ目をやっていたが——。
「僕を連れて行くのを、少し待ってもらえないか」
と、勇治は言った。
「え?」
「兄が、もし、もうここへ来てしまっていたら、兄を見付けるのは大変だよ。ともかく警察も散々手を焼いたんだから」
「それは分ってます」
「僕は兄をずいぶん捜した。もし君が兄を見付けたいのなら、僕がいた方がずっと楽だと思う」
「そうですか……」
「兄の愛人とか、その仲間とか、立回りそうな場所も分るし、それにね、僕らは一卵性双生児だ。不思議な力があるんだよ。たとえお互いに姿が見えなくても、そばにいると、感じる[#「感じる」に傍点]んだ。——きっと、兄を見付ける手助けができると思う。それに——兄は、君の話におとなしく従うとは思えない」
マリも、確かに、その点は心配だった。
「——分りました」
と、マリは肯《うなず》いた。「ともかく大天使様にそう伝えて、待ってもらいます」
「ありがとう」
勇治がマリの手を握った。マリは、その手が、「生きている人間」のように暖かいのに気付いて、ドキッとした……。
「——おい、人が来るぜ」
とポチが言った。
「誰《だれ》か来ます。見付かったら大騒ぎになるわ。一緒に行きましょう」
「どこへ?」
「今、私が居候してる家に。他にありませんもの。——さ、早く」
と、促す。
そこへ、
「待って下さい」
と、さっきの母親が駆けて来た。「私——三崎《みさき》伸子です。お願いです。一緒に連れていって下さい」
「でも——」
「あなたには、兄に敵討ちをする資格がありますよ」
と、勇治が言った。
「ありがとう!」
三崎伸子の目に、涙が光っていた。
「じゃ、ともかく、みんな一緒に。——田崎さんに迎えに来てもらうしかないわ」
マリは、二人を先に行かせてポチと一緒に少し離れてついて行った。
「——おい」
「何よ。文句ある?」
「大丈夫なのか」
「大天使様だって分って下さるわ」
「そうじゃないよ」
と、ポチは前を行く二人の背中を見ながら、「あいつが本当の弟[#「本当の弟」に傍点]の方だって、どうして分る?」
「何ですって?」
「しっ。もしかしたら、あれが兄貴の方で、弟のふりをしてるのかもしれないぜ」
「まさか……」
マリは唖然《あぜん》とした。
「分らねえだろ、そんなこと。何しろまるで瓜《うり》二つなんだからな」
「そりゃそうだけど……」
「ま、油断しないことだな」
ポチの言葉に、マリは、すっかり考え込んでしまった。
でも……。まさか……。