「凄《すご》いわねえ」
マリは、ただ目をみはるばかりだった。
パーティの会場は二千人も入るという広さで、ズラリと並んだシャンデリアの光がまばゆいばかり。
はるかかなたにステージが作られて、誰かがマイクの調子を見ている。料理の並べられたテーブルを、大勢のボーイたちが点検して回っていた。
「旨《うま》そうだ」
と、ポチはゴクリと喉《のど》を鳴らしている。
「だめよ、あんたは。こんな会場に犬なんかいれてくれないわ」
「用心棒だって言えばいいだろ」
「誰が見たって、警察犬にゃ見えないわよ」
と、マリは笑って、「あんたは部屋でおとなしく待ってなさい。部屋へ入れてくれただけでも、感謝しなきゃ」
「悪魔にゃ、感謝する心なんてないよ」
「そうか。でも、やっぱりここはだめ」
「じゃ、何か旨いもん見つくろって、持って来てくれ」
「食い意地が張ってんだから」
と、マリはため息をついた。「もし時間があったらね」
——今日はずいぶん有名な人もやって来るらしい。
もう、TVカメラが入って、何人か、ライトの具合などをためしていた。
「あの、すみません」
と、誰かが息を切らして駆けて来る。
「あら。教祖様の——」
加奈子の世話をしている、メイドさんである。何やらあわてて、
「あの、呼んでるんです!」
「え?」
「マリさんを呼んで、って……。あの——あの方が」
「教祖様が?」
「そ、そうなんです。ともかく早く連れて来てくれって——」
「分ったわ」
マリは、ポチの方へ、「あんまり人目につかないようにしててね」
と言うと、メイドさんと一緒に、急いで加奈子の部屋へと向った。
加奈子は、このホテルの一番広いスイートルームを使っている。マリは、向い合ったツインルームに、ポチと二《ヽ》人《ヽ》で入っていた。
マリが、スイートルームのドアをノックすると、
「誰?」
と、上ずった声が聞こえた。
大分ピリピリしてるみたいだわ、とマリは思った。
「マリです。——入れてください」
と言ってから、マリはメイドさんに、「一人で入るから。あなたはこの辺にいて」
ドアが開くと、加奈子が顔を出し、
「入って」
と言うと、さっさと奥へ戻《もど》って行く。
マリはあわてて後を追った。
広いリビングルームに入ると、加奈子はソファにドサッと倒れ込んで、
「もうだめ! 気分が悪いの!」
と、泣きそうな声を出した。「私、とてもパーティになんか出られない。——あなた、代りに出てよ」
「そんなこと!——私、できません」
「あなた、私の身代りでしょ! どうしてできないのよ!」
加奈子は、機《き》嫌《げん》のいい時とは別人のように目をつり上げ、唇を震わせて怒《ど》鳴《な》っていた。
顔からは血の気がひき、体も細かく震えている。——要するに、「あがっている」のだ。
マリは、加奈子の隣に腰をおろすと、
「大丈夫です。できますよ」
と、いつもの通りの声で言った。
「無理よ……」
「私が代りをやるって言っても——TVに映るんです。大きく。いつもみたいに、信者の方たちが遠くから眺めるのとは違いますもの。私じゃだめです。加奈子さんみたいに、雰囲気がありません、私には。あんな大勢の人の所に出たら、顔がこわばっちゃって、笑顔なんか、とても作れません。でも、加奈子さんなら大丈夫。できますよ」
マリが、いつもと同じ口調で話しているのが良かったのだろう。加奈子は、少し落ちついて来た様子だったが、まだ青ざめている。
「——できるかしら」
「大丈夫。だって、ああいうパーティでは、みんなおじさんたちばっかりでしょ。連れの女性だって、若くないし。加奈子さん、若くてきれいなんですもの。もう、それだけで——。それに、あんな大きな教団の教祖がこんなに若い女の子、なんて。みんなびっくりして、眺めてるだけですよ。だから少しぐらい話すことを忘れたり間違ったりしたって、全然平気。ニッコリ笑えば、それでもう、『勝負あった!』ですよ」
聞いていた加奈子が、ごく自然に微《ほほ》笑《え》んだ。——「教祖用」の、仕込まれた笑いでなく、普通の女の子の笑いだった。
「何だか、あなたが言うと、大丈夫みたいな気がして来る」
「だって本当ですもの。天使は嘘《うそ》をつかないんです」
加奈子は笑った。声を上げて。
「——あなた、よく言ってるんですってね、自分が天使だって」
「ええ、地上に研修に来てるんです」
と、マリは言った。
どうせ、信じてもらえやしないのだ。話したって平気である。
「本当に天使かもしれない、って気がして来るわ、あなたを見てると」
と、加奈子は笑った。「——仕方ない! いっちょ、やっつけるか!」
「教祖様のお言葉とは思えません」
と、マリは言ってやった。
ドアをノックする音がした。
「中山さんだわ、きっと。マリさん、開けてくれる? 私、もう一度お化粧を直したいの」
「はい」
加奈子がバスルームに入って行き、マリは急いでドアの方へ行った。
「今、教祖様は——」
ドアを開けて、言いかけ、「あなただったの」
加東晃男が立っている。今日はブレザー姿で、大学生らしいイメージだ。
「彼女……いる?」
「ええ。用意してるとこ」
「入ってもいいかな」
「いいんじゃない?」
晃男は、リビングルームへ入って、
「広いなあ」
と、目を丸くした。「——実はね、僕、あそこを辞めたんだよ」
「どうして?」
「いや……。彼女にさ、こんなことやめて、普通の学生に戻ったら、って言って、口論になってね。ついカッとなって、辞めちゃった」
「知らなかった」
「もう会ってくれないかもしれない、と思ってね。でも——」
バスルームのドアが開いた。
「声が聞こえて」
と、加奈子は言った。「来てくれたのね」
「僕のアパートは近いしね」
加奈子は、ゆっくりと進んで来ると、
「あの時は、ごめんなさい。あなたの気持はよく分るの。嬉《うれ》しいし。でも——」
「いや、僕こそ自分一人の勝手で、あんなこと言って、悪かったよ」
と、晃男は言った。「もう……時間なんだろ?」
「あと二十分ぐらいありますよ」
と、マリが言った。「呼びに来ます」
「お願いね」
と、加奈子は両手を合わせて、「中山さんに黙ってて」
「了解しました」
マリは、ドアを開けようとして、振り向くと、「加奈子さん、キスしたら、またお化粧直さなきゃだめですよ」
と、言ってやった。
あの広いパーティ会場の前のロビーに行ってみると、中山が、そろそろやって来始めた客と挨《あい》拶《さつ》を交わしている。
まだパーティは始まっていないので、客たちはロビーのソファに腰をおろし、顔見知り同士で話をしていた。
中山はマリに気付くと、大《おお》股《また》に近付いて来て、
「教祖は?」
と、訊《き》いた。
「今、お化粧中です」
マリはそう言っておいた。「緊《きん》張《ちよう》してるから、一人にしておいてくれって」
「そうか。分った。パーティが始まって、少したってからの方がいいな、彼女の入場は。どうせ遅れて来る客もいる」
と、ちょっと腕時計を見る。「君は、適当に教祖の近くにいてくれ。もちろん、たっぷり食べていいんだよ」
「はい!」
マリはしっかり肯《うなず》いた。
「このパーティで、うちの教団の名も全国に——。や、どうも!」
と、中山はやって来たでっぷり太った男の方へと急いで歩いて行った。
マリは、ポチが見えないので、キョロキョロ見回していた。
「捜しものかい」
足下で声がした。
「何だ。捜してたのよ。どこかへ忍び込んでるといけないと思って」
「空《あき》巣《す》と間違えるない」
と、ポチは文句を言った。「あっちに、面白い知り合いが来てるぜ」
「えっ?」
マリは、ポチについて、ロビーの奥へと歩いて行った。
ソファに半ばそっくり返るように座っているのは、浦本刑事だった。
「——いたな」
と、マリを見て、ニヤリと笑う。
「よくここが……」
「分るとも。警察だぞ」
と、浦本は体を起して、「役に立たん奴《やつ》だな」
「そんなこと言われても……」
と、マリは口を尖《とが》らした。「お約束した覚えはありませんけど」
「野口は?」
「伝えました。でも、あんまりお会いしたくないみたいです」
「なるほど」
浦本は、あまり気にしていない様子だった。
「あの——野口さんに会いたいんでしたら、本山にいますけど」
「そうか?」
と、浦本は愉《たの》しげに言った。「なら、どうしてさっき見かけたのかな」
マリは面食らった。
「野口さんを?」
「ああ」
「だって——会ったことないんでしょ」
「ちゃんとお目にかかったよ。警察の資料でな」
「警察の?」
「あいつは一時、暴力団に入ってたんだ。抜けられなくて困ってる内に、幸いその組が潰《つぶ》れた。それで女の所へ転がり込んだってわけさ」
なるほど。それじゃ、会いたくないわけだとマリは思った。
「でも、ここへ来てるなんて知らなかったわ」
「まあいい」
と、浦本は肯いて、「今日はなかなか盛大なパーティらしいな」
「ええ」
「インチキ宗教が、こんな場に堂々と出て来るのか。いい度胸だ」
と、浦本は立ち上って、「俺《おれ》は、ちゃんと目を光らしてる。——東京へ来て、何か怪しい動きがあれば、見逃さん。分ってるな」
口のきき方が横《おう》柄《へい》だわ、とマリは思った。
浦本は、ゆっくりとロビーから姿を消した。しかし、たぶん帰ってしまったわけではないだろう。
マリは、浦本が何かはっきり狙《ねら》いを持ってここへやって来たという印象を受けた。
もちろん、マリも阿部ユリエと夫が心中した事件の真相を知りたいと思っている。でも——この教団に、どんな秘密があるというんだろう?
「ここにいたのか」
と、中山がやって来た。
「あ、すみません」
「いいんだ。そろそろパーティが始まるよ」
「教祖様をお呼びしますか?」
「まだだ。時間はあるよ。君、少しパーティに出ていたまえ」
「私一人で?」
「大丈夫。入口の近くにいれば、捜すさ」
と、中山はマリの肩をポンと叩《たた》いた。
マリは少し頬《ほお》を赤くした。——ポチに見られなくて良かった。
でも、ポチったら、どこでふてくされてるのかしら?