「じゃ、出かけるわ」
と、加津子が、朝食の席から立ち上った。
「はい」
マリは、急いでドアを開けた。「——お出かけですよ!」
と、呼ぶとドタドタと足音がして、二階から、畑健吾が駆け下りて来る。
「ほら、早くして! 秘書の方が遅いんじゃ仕方ないでしょ」
「う、うん……」
健吾は必死でネクタイをしめながら、「いけね! 鞄《かばん》、忘れた」
「全く、もう!」
「あなた」
と、江美が、階段を下りて来る。「はい、鞄」
「や、ごめん」
「いい奥さんで幸せですね」
と、マリは言ってやった。
「私も出かけるわ」
と、江美が言った。
「江美、少し早いんじゃないの?」
と、加津子が言った。
「でも、どうせあと少しの勤めだから、遅刻《ちこく》したくないし」
「そうね。じゃ、駅まで車で」
「うん」
健吾が車を玄関へ回す。
「——行ってらっしゃい」
細川加津子と、畑健吾、その妻、江美を乗せた車が、門を出て行った。
来年には、江美も母親になるようだ。
「さて、と……」
マリは、裏口から出て、「ね、あんた、行くわよ」
と、ポチへ声をかけた。
「どうしても?」
と、ポチが情ない声を出す。「こんなに食いものも良くて、居心地《いごこち》のいい所なんて、ざらにないぜ」
「だから、だめなのよ」
と、マリは言った。「いつまでもここに落ちついちゃったら、研修にならないじゃないの」
「分ったよ……」
ポチは欠伸《あくび》をした。
「でも——いい人たちだったわね」
と、マリは言った。「人間って、本当に可愛いわ」
「チェッ」
「何よ」
「別に……」
この次は、もっといやな奴のいる家に行ってほしいね。
ともかく、天使が人間を信じられないようになってくれないと……。
「私は人間が大好き! 人間|万歳《ばんざい》!」
門を出て歩きながら、マリが空へ向って、叫んでいる。
それを見て、ポチは、ちょっと首をかしげると、
「ついて歩く天使を間違ったかな」
と、呟いたのだった……。