話を聞いて、尾形は青くなった。
「いいか、よく聞け」
と、明子をにらみつけて、「僕《ぼく》がどうするか教えてやろう」
「このお昼をおごってくれるんでしょ?」
明子は平然とランチを平らげている。
「そうじゃない! 君のお尻《しり》を百回、ひっぱたいてやる!」
「あら、そういう趣《しゆ》味《み》があったの? 私ならどっちかというとマゾよりサドの方なんだけど」
「ねえ、君——」
「分ってるわ。でも、食べないと冷《さ》めるわよ」
「構《かま》うもんか!」
「あらそう」
明子は首をすくめて、「いいわよ、別に。どうせ私が食べるんじゃないから」
尾形はため息をついて、自分の皿《さら》に手をつけた。
「——全く、無《む》茶《ちや》ばっかりして!」
「でも、何でもなかったのよ」
「たまたま、助かったんじゃないか。もし、そいつがぎっくり腰《ごし》にならなかったら、どうなってたと思うんだ?」
「さあね」
と、肩《かた》をすくめて、「過《か》去《こ》のことに、『もしも』は無《む》意《い》味《み》よ」
「呑《のん》気《き》なこと言って……」
「問題はね、なぜ女子大生の売春に主《しゆ》婦《ふ》が出て来るか、よ」
「解《かい》決《けつ》の方法は簡《かん》単《たん》だ」
「あら、そう?」
「ああ」
「教えてよ」
「君は一切の探《たん》偵《てい》ごっこから手を引く。それで終りだ」
「ねえ、尾形君」
「何だ」
「私があのとき、何を考えてたか、分る?」
「あのときって?」
「体が痺《しび》れて、動けなかったときよ」
「知るもんか」
と尾形はふくれっ面である。
「こんなことなら、どうして尾形君にあ《ヽ》げ《ヽ》て《ヽ》おかなかったのかしら、と悔《くや》んでたのよ」
尾形の顔に、何ともいえない表《ひよう》情《じよう》が広がった。
「——本当かい?」
「本当よ」
尾形は微《ほほ》笑《え》んだ。
「ねえ、もっと、食べるかい? 何なら、AランチからCランチまで全部——」
「食べられっこないでしょ」
明子は苦《く》笑《しよう》した。
「しかし、君の言う、主《しゆ》婦《ふ》の役《やく》割《わり》だが……」
「主婦を装《よそお》ってるのかしら? でも——」
と、明子は首をかしげて、「どう見ても、本物の主婦だったけど」
「もしかすると、白石は、女子大生ばかりじゃなくて、主婦の売春にも手を出してたのかもしれないな」
「それは言えるわね」
と明子は肯《うなず》いた。
「そして主婦たちは、客とホテルへ行くだけじゃなくて、そんな風に、女の子を見付けたりすると、またいくらか手もとに入るようになってたのかもしれない」
「鋭《するど》いじゃない」
「からかうな」
と、尾形は明子をにらんだ。
「それと、茂木こず枝との関連……」
明子は、ふと眉《まゆ》を寄《よ》せた。「茂木こず枝か——」
「どうかしたのかい?」
「電話番号よ」
明子は、あの中年男から聞いた、やや不《ふ》正《せい》確《かく》な番号のメモを見て、「これはきっと会社なのね。もし、茂木こず枝のいた社のものなら——」
「会社の電話は?」
「名前は分ってるわ。白石が一時アルバイトをしていて……」
「すると白石とも接《せつ》点《てん》がある、というわけだな」
「何《ヽ》か《ヽ》ありそうね」
と明子は目を輝《かがや》かせた。「待ってて、電話帳を借りて、調べてみる」
明子はレストランのレジの方へと飛んで行くと、分厚い電話帳をめくった。
少しして戻《もど》って来る。
「どうだった?」
「どうもね……」
「だめか」
「何だか、局番がまるで違《ちが》うの。——下の番号は0と1で、よく似《に》てるけど」
「すると別なんだろう」
「どこの番号かしら?」
「かけてみたら?」
「かけてみたわよ、むろん」
「それで?」
「どれか番号が違うのね。今使われておりません、って返事よ」
「そうか……」
「ともかく、またアルバイトだわ」
と明子が言うと、尾形が、
「やめてくれよ!」
と青くなった。
「ご心配なく」
「心配するよ」
「そのバイトじゃないの。もっとちゃんとしたアルバイトよ」
「へえ」
「茂木こず枝のいた会社に、入りたいと思っているの」
尾形は、諦《あきら》め顔で、ため息をついた。
「今は求人はしておりませんが」
と、受付の女《じよ》性《せい》は冷たく言い放った。
「分ってますけど、来たんです」
明子がめちゃくちゃなことを言い出した。「ともかく、せっかく来たんですから、追い返しちゃ可哀《かわい》そうです」
明子の言うべきセリフではない。受付の女性も、仕方なく笑《わら》い出してしまった。
「じゃ、ちょっと待って」
と立ち上ると、「総《そう》務《む》の人に訊《き》いてみるわ」
「すみません」
明子は、ピョコンと頭を下げた。
押《ヽ》し《ヽ》の一手である。
受付の女《じよ》性《せい》は、すぐに戻《もど》って来た。
「——ちょうど、今なら仕事があるってことですよ」
「助かったわ!」
と、明子は飛び上った。
助からないのは尾形だったろう……。