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霧の夜にご用心14

时间: 2018-09-28    进入日语论坛
核心提示:復讐の刃 「お詫《わ》びのしようもありません」 川上刑事が頭を下げた。 私は黙って、出されたお茶を飲み干《ほ》した。もう
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 復讐の刃
 
 「——お詫《わ》びのしようもありません」
 川上刑事が頭を下げた。
 私は黙って、出されたお茶を飲み干《ほ》した。——もう十杯《ぱい》目ぐらいだった。
 「今、何時ですか?」
 と私は訊いた。
 「朝の五時です」
 「五時……」
 私は大きく息を吐き出した。
 「松尾のことは私の責任です」
 川上はもう一度頭を下げた。
 「もういいですよ」
 と私は言った。
 「しかし——」
 「若い内は、誰《だれ》しも暴走しがちなもんですからね」
 「そうおっしゃられると辛《つら》いです」
 「別に訴《うつた》えるとか、そんな気はありません」
 「ありがとうございます」
 川上は頭を下げた。——珍《めずら》しく、良心的な刑事である。普《ふ》通《つう》、仲間同士では、かばい合うものだろうが。
 「ただ、二つお願いがあるんですが」
 と私が言った。
 「何でしょう?」
 「会社を今日休むのに、公用という証明が欲しいんです」
 「分りました」
 「それから——」
 「何です?」
 「後で、うな丼《どん》を一杯、おごって下さい」
 と私は言った。
 
 「——何人前でもどうぞ」
 赤坂の、有名なうなぎ専門店で、私は満《まん》腹《ぷく》になってフウッと息をついた。
 「いや、もう結構です」
 ——座《ざ》敷《しき》は、静かで、およそ都会の真ん中の、それも昼どきとは思えなかった。
 「それにしても、あなたの精神力は大したものですね」
 と、川上が言った。
 「いじめられつけてるんですよ」
 と私は言った。
 「——大場妙子さんというのは、桜田さんの姪とか。ご存知でしたか」
 「ええ。彼女、自分からそう言いました」
 「なぜ、あなたの会社へ入社したんでしょう?」
 「事件のことを調べてみたかったようです。若い娘《むすめ》は無《む》鉄《てつ》砲《ぽう》ですから」
 「全くですね。それを手伝っておられたんですか」
 「手伝わされていた、というべきですかね」
 「頼《たよ》られていた?」
 「妙ですよ。このとしになるまで、女の子に頼られたことなどなかったのに」
 と私は苦《く》笑《しよう》した。「——松尾さんも、私と小浜君のことばかり訊いていたけど、私と大場君のことも訊けば良かったのに」
 「ほう。すると——」
 「彼女のほうからね。本当ですよ」
 「信じますとも。——しかし、行方不明になった事情は奇《き》妙《みよう》ですね」
 「ええ」
 もちろん、小浜一美が行方不明になったことは、誰も知らない。二人の女が、時を同じくして行方不明になった。それこそが、奇妙である。
 「何かお考えはありませんか」
 と川上が訊く。
 「それはそちらの領分でしょう」
 と私は言った。
 「全くですな」
 川上は笑った。
 
 アパートへ帰ったのは、午後の二時過ぎだった。
 それからぶっ通して眠り、目が覚めたのは、夜中の一時だった。
 風《ふ》呂《ろ》へ入り、上がると、やっといつもの頭《ず》脳《のう》に戻《もど》ったようだ。
 体を拭《ふ》いていると、電話が鳴った。
 「——平田です」
 「もしもし」
 あの女だった。
 「君か……」
 「警察にいたの?」
 「ひどい目に遭《あ》った」
 「そのようね」
 女は笑いを含《ふく》んだ声で言った。
 「なぜ知ってる?」
 「いいじゃないの、なぜでも」
 「君は——」
 私は言いかけて、言葉を切り、「何の用だ?」
 と訊いた。
 「松尾っていう刑事。許せないわね」
 「おい待て! それは僕《ぼく》の問題だ」
 「あなた、や《ヽ》る《ヽ》つもり?」
 「悪いか?」
 「いいえ。ちっとも」
 女は人を小馬鹿にしたように、「出来るかしら?」
 と付け加えた。
 「やる。必ずやる」
 「怖《こわ》いのね。——じゃ、そちらへ任せるわ。頑張って」
 「ご親切にどうも」
 「表はまた霧よ。——でも長くはもたないでしょ。やるなら今夜しかないわ」
 「そうか。しかし、準備が必要だ。相手の居場所をつかまなくちゃ」
 「今、松尾刑事はスナックで酔《よ》っ払《ぱら》ってるわよ」
 「何だって?」
 「私、その近くからかけてるの」
 「じゃ……松尾をつけてるのか」
 「そう。もしかしたら、あなたが自分でやると言い出すかもしれないと思ってね。——それで電話したの」
 「ありがたい。場所を教えてくれ」
 女の説明を、私は頭へ叩《たた》き込んだ。
 「——分った」
 「まだ彼はそこにいるわ。たぶん、しばらく動かないでしょう」
 「礼を言うよ」
 「どういたしまして」
 女はフフ、と軽く笑って、電話を切った。
 あの女は何者なのか?
 なぜ、一美のこと、妙子のこと、山口のこと、そして松尾のことまで知っているのだろう。気にはなったが、今は余《よ》裕《ゆう》がない。
 私は、下着を替《か》え、それから服を一揃《そろ》い、出して並《なら》べた。
 一つずつ身につけて、それから黒のコートをはおる。帽《ぼう》子《し》、靴《くつ》。
 そしてナイフ。
 今日こそは、〈切り裂《さ》きジャック〉がよみがえる夜だ。
 私は、すっかり用意を整えて、鏡の前に立った。
 そこにはもう〈平田正也〉はいなかった。十九世紀のロンドンから抜《ぬ》け出した男が立っている。
 殺人鬼《き》、切り裂きジャック。
 私は、そっと微《ほほ》笑《え》んだ。——あの松尾という刑事が、腹《はら》を切り裂かれたとき、どんな顔になるだろう、と思うと、一刻《こく》も早く出かけたかった。
 「さて」
 私は鏡の中のジャックへ、挨《あい》拶《さつ》した。「行って来るよ」
 外は霧。風が少し流れて、コート姿《すがた》の私を霧が巻《ま》いて行く。
 私は、いつにない力強い足取りで、夜の道を歩き出した。
 
 スナックから、松尾が出て来た。
 不《ふ》機《き》嫌《げん》な様《よう》子《す》である。大方、川上刑事に叱《しか》られたのだろう。
 「畜《ちく》生《しよう》!」
 八つ当り気味に小石をけっとばす。
 松尾が歩き出した。私もその後を尾《つ》けて行った。
 刑事が尾《び》行《こう》されるのでは、ちょっと見っともない話である。
 どこへ行く? さあ、どこでもいいぞ。
 死に場所ぐらい、選ばせてやる。
 どうやら、松尾は、あまりアルコールに強くないとみえる。
 途《と》中《ちゆう》で気分が悪くなったのか、わきへそれて、どこかの家の塀《へい》の陰《かげ》で吐いているらしかった。
 もう少しすれば、気分の悪いのも、治してやるのに。このメスで。
 私は左右へ目を走らせた。——あの女は、どこかから見ているのだろうか。
 見ているがいい。本当の〈切り裂きジャック〉の手《て》並《なみ》を見せてやるから。
 ナイフを握《にぎ》りしめた手は、震《ふる》えもせず、汗もにじまない。
 松尾は、やっと息をついて、体を起こした。私は、ナイフを手に、その背《せ》中《なか》へ向って、ゆっくりと足を進めて行った。
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