「お前って本当に変った犬だね」
と、呆《あき》れたように言ったのは、津田恵子。
言われたのは、もちろんドン・ファンである。
「散歩で、こんな所へ来たがる犬なんて、聞いたことない」
と、恵子は言った。
「ワン」
そう? てな感じで、ドン・ファンがないた。
まあ、恵子が呆れるのも無理はない。
清美に言われて、亜由美の代りに散歩へ連れ出したのだが、ドン・ファンは先に立ってサッサとこの公園へ……。
犬が公園に来たって、一向に構やしないのである。ただし、この公園は、夕刻ともなると、アベックのメッカ。
まだ充分明るいというのに、ベンチでは、しっかり抱き合うカップル、身を寄せ合うアベックの花盛り。その辺の芝生でも、彼女の膝《ひざ》に頭をのせて、しまらない顔の男たちがいくらもいる。
ドン・ファンは、そのカップルたちを、いとも楽しげに(?)眺めて歩いているのである……。
「変な趣味があるんだから、本当に」
と、恵子は苦笑した。「でも——まあ、面白いわね」
「ワン」
どうやら、このペアも、気が合っている様子である。——好奇心旺盛という点では、飼主だって、似たようなものかもしれない。
「だけど——」
と、恵子は、ふと哲学的な表情になって、「ねえドン・ファン」
「ワン」
「この人たち、今はみんなお互いに好きだと思ってるわけでしょ。でも、果してこの中の何組の人たちが、結婚して、最後まで幸せでいられると思う?」
「ワン」
「そう考えると——人間の愛情なんて、むなしいわね」
小学生にして、ここまでませているというのも怖いが、ドン・ファンが、いかにも同感というように、
「クゥーン」
と、ないたのも、怖いといえば怖いのであった……。
すると、そこへ——。
何だかいささか薄汚れた格好の、浮浪者みたいな男が、やって来て、
「ね、坊っちゃん」
と、恵子に声をかけたのだ。
「失礼ね! 私、女よ」
と、頭に来た恵子は言い返したが——。
その男が、パッと恵子の体をかかえ上げた。
「キャッー」
恵子が悲鳴を上げる。
男は、小柄な恵子をわきにかかえると、ダッと走り出した。
「助けて!——誰か!」
と、恵子は叫んだ。
何といっても、完全にかかえ上げられてしまっているので、手足をバタつかせても、どうにもならない。
「ワン!」
ドン・ファンも、呆気に取られていた(?)が、あわてて、後を追いかける。
ところが——公園の中は、まだ明るく、しかも、前述の通り、アベックが沢山いたのにもかかわらず、悲鳴を上げる恵子のことを、みんなポカンと眺めるばかりで、一向に助けようとしなかったのである。
まあ、突然のことで、ただびっくりしていた、というのも分らないではないのだが、一人や二人、助けに飛んで来てくれても、とは当然、恵子としては思ったのである。
そこへ——スーパーマンが飛んで来た、というのはもちろん間違いだが、たまたまやって来たのは、神田聡子だった。
聡子は、ボーイフレンドと二人で来たのでなく、一人だった。
亜由美の家へ行くと、亜由美は留守で、
「あの子[#「あの子」に傍点]は、ドン・ファンを散歩させてますよ」
と、清美に言われて来たのである。
亜由美ともども、何度かこの公園に来たことのある聡子は、ここがドン・ファンのお気に入りの場所であることを、よく知っていたのだった。
そして——聡子はトコトコと公園の入口の石段を上って来た。
「助けて!」
追いすがるドン・ファンも足の短さが災いして(?)、なかなか追いつかず、恵子の叫びも空《むな》しく、公園から男は恵子を運び出そうと——石段を駆け下りて来た。
聡子は上り、男は下りた。——で、二人は当然出くわしたのである。
「あ、どうも」
「いや、いいお天気で」
「さようで」
なんて言ってる、余裕はなかった。
目の前に誰かいるな、と思ったのが、聡子の最後の記憶(気を失う前の)。正面衝突。
ガン、という音と共に、聡子と、その男はぶつかり、二人はきれいに両側にひっくり返った。
「キャッ!」
恵子は、その場に投げ出されたが、幸い、身も軽いし、何とかけがもせずにすんだ。
「——ドン・ファン!」
「ワン!」
と、駆けつけて来たドン・ファンが、ペロペロと恵子の手をなめる。
「びっくりした!——でも、良かった。この人が……」
恵子は、完全にのびている二人を見下ろして、
「——どうしたらいいと思う、これから?」
と、途方にくれているのだった。
「聡子……」
と、亜由美は、親友の手首を取って、「しっかりして! 今死んだら、明日の夕ご飯が食べられないわよ!」
「そういうことを言うのか……。イテテ……」
聡子は、亜由美の家のソファで、寝ていた。「この冷血漢!」
亜由美は、ふき出してしまった。
「——全く、もう。人助けして笑われるなんてね」
と、聡子は、おでこのこぶ[#「こぶ」に傍点]を、タオルで冷やしながら、「もう二度と目が開かないかと思った」
「可哀そうにね」
と、清美が入って来て、「聡子さん、大丈夫?」
「もうだめです」
「何が、だめよ。その元気なら大丈夫」
「そうとは限らないわよ」
と、清美は言った。「今は大丈夫のように見えても、一週間ぐらいして、ポックリいくことだってあるのよ」
「そう?」
「そうよ。そこまで行かなくても、突然、泡をふいて引っくり返ったり、何かあらぬことを口走ってみたり……。いつ、どんな風になるか分らないのよ」
聡子は、起き上って、
「あの……帰ります、私」
「あら、もっと休んでれば?」
「でも……母にお別れも言いたいし……」
と、聡子は涙ぐんでいる。
「お母さんが、変なこと言って、おどかすから!——大丈夫よ、聡子。あんたの石頭なら、何てことない。それに却《かえ》って、それで良くなるかもしれないじゃない」
「ちょっと! そういう言い方あるの?」
と、聡子は頭に来て[#「頭に来て」に傍点]、言うと、「イテテ……」
と、呻《うめ》いた。
「——どうも」
と、居間へ顔を出したのは殿永だった。
「殿永さん。あの犯人、身許《みもと》は分ったんですか?」
と、亜由美が訊《き》く。「恵子ちゃんをさらおうなんて、とんでもない奴《やつ》だわ」
「私のこぶも作ったんです」
と、聡子が主張した。
「いや、神田さん、お手柄でしたね」
と、殿永に賞《ほ》められて、聡子もついニヤニヤしている。「あの男、どうやら誰かに金で頼まれたようです。しかし、誰なのか、よく分らないんですよ」
「じゃ、私のこぶ[#「こぶ」に傍点]はむだだったんですか?」
と、聡子はこぶにこだわっている。
「ともかく、今、調べさせています。——例の子は大丈夫ですか」
「ええ。二階で、悩んでますわ」
「ほう」
「なぜ、アベックが恋人とは限らないか、という問題について」
殿永が目をパチクリさせていると、
「——あら、殿永さん」
と、清美が顔を出して、「いついらしたんですの?」
「ちょうど今来たところです」
「早くおっしゃって下さらなきゃ。ちょうど——何だったかしら?」
と、清美は考え込んで、「そうだわ。お電話が入ってるんです」
「私にですか?」
殿永はあわてて飛んで行った。
「——お母さんのユニークさには、かなわない」
と、亜由美は言った。「聡子」
「何よ」
「夕ご飯、食べてく?」
「亜由美は、きっとまた、凄《すご》く豪華なお食事に呼ばれてるんでしょ」
「まだ言ってんの?」
と、二人がやり合っていると、殿永が戻って来た。
「すぐ帰りませんと」
「何かありまして?」
「——あの四人組の一人、久代という女性が、殺されたんです」
と、殿永は言った。
「犯人も焦《あせ》ったもんだ」
と、殿永は言った。
「どうしてです?」
亜由美は訊いたが、すぐに、殿永の言った意味が分った。
その女が死んでいたのは、道から少し外れた草原の中で、そこで、女は車にひき殺されたのだった。
「道路なら、分らなかったかもしれませんがね」
と、殿永は言った。「彼女は気付いて逃げ出したんでしょう。あわてて犯人は車で追いかけた。——叢《くさむら》から土の所まで追いかけて、やっと追いついたんです」
地面にかなりはっきりとタイヤの跡がついている。
「——久代」
と、声がした。
「やあ、池山さん」
池山香子が、やって来ていた。布に覆われた、久代の死体を見て、涙声になった。
「こんなことって……」
「妙ですね。なぜ、この人が殺されたのか。心当りは?」
香子は、涙を拭《ぬぐ》って、息をつくと、
「——久代は、四人が別れた後、誰かが学校へ戻ったのを、見たんです」
と言った。
「誰のことです?」
「さあ。——和子か、宏美か」
「しかし、刈谷和子さんは、戻ったことを認めていますよ。もっとも、思い直して帰った、と話しています」
「そうですか」
と、香子は意外そうに、「じゃ、なぜ久代は殺されたんでしょう」
「ワン」
ドン・ファンも、くっついて来ていたのだが、何やらくわえて、やって来た。
「——これは面白い」
殿永は、ドン・ファンの口から、紙きれを受け取った。「分りますか」
「ただの新聞紙ですね」
「この形と、大きさです」
と、殿永は、その長方形に切られた紙を、ピンと張って見せた。
「——お札だわ」
「そうです。どうやら、犯人が見落としたらしい。よくやった!」
「ワン!」
どうも今回は亜由美の賞《ほ》められる場面が少ないようだ。
「どういうことですか?」
と、香子は訊いた。
「つまり、久代さんは、本当の犯人[#「本当の犯人」に傍点]を見ているんですよ、十五年前に」
「じゃ、ずっと黙って——?」
「まあ殺されたと分ったのが、ついこの間ですからね。おかしいな、ぐらいは思っていたでしょうが」
「その相手をゆすったんですね」
と、亜由美が言った。
「そうです。学校へ入って行くのを見たぞ、とね。——犯人の方には払う気はなかったわけだ」
と、殿永は、首を振って、言った。
「じゃ、一体……誰なんでしょう?」
と、香子は戸惑っている。
「少なくとも、あなたか、四人組の中の人間ではないでしょう。お金をゆすり取れるほど、余裕のある人間ですからね、相手は」
そこへ、鑑識の人間がやって来た。
「——何か分ったか?」
と、殿永が訊く。
「タイヤはかなり高級品だ。大型車のものだよ」
「大型車? たとえば?」
「そうだね、まあ、高いところなら、ロールスロイスとか……」
亜由美が目を丸くして、
「まさか!」
と、言った。