2019-12-30 21伊東栄吉は帰宅前のひととき、いつものように今日...
2019-12-30 20昭和二十年七月十四日、津軽《つがる》海峡一帯は...
2019-12-30 19昭和二十年五月、ヨーロッパ戦線では遂にナチス・...
2019-12-30 18一週間ほどたって、千葉の消印のある手紙が、尾鷲...
2019-12-30 17昭和二十年、戦争はもはや末期的様相を呈していた...
2019-12-30 16みちは奇蹟《きせき》的に生命をとりとめた。一時...
2019-12-30 15室伏雄一郎は出征した。有里は岡井亀吉の家へ身を...
2019-12-30 14太平洋での日米の戦いは、この昭和十七年を境とし...
2019-12-30 13この昭和十六年という年は、室伏家にとって、新春...
2019-12-30 12岡本良平は隴海《ろうかい》線にいた。隴海線とい...
2019-12-30 11昭和十二年十二月十日、日本を出航した貨物船『梅...
2019-12-30 10披露宴を終えると、栄吉とはる子は北海道を三泊四...
2019-12-30 9有里は帰りの汽車の中で、先刻の三千代との会話を...
2019-12-30 8はる子、伊東、南部斉五郎たちの一行が北海道へ向...
2019-12-30 7雄一郎は三千代のことを、何度も妻に相談しようか...
2019-12-30 6お互に、七、八年という長い歳月のへだたりは有っ...
2019-12-30 5有里が比沙の霊前に焼香をすませて戻ってくると、...
2019-12-30 4昭和九年十二月一日、十七年間の鉄道技師やトンネ...
2019-12-30 3腹痛の原因は、やはり心配したように流産だった。...
2019-12-30 2内には血盟団《けつめいだん》事件、五・一五事件...